警察官の居ない世界へ

俺が、俺たちが、地域の警察官だ。


エジプトなどがリビアのイスラム勢力空爆、欧米は介入に反対| Reuters
ウクライナのロシア介入や、やシリアイラク空爆やらなんだと色々報道されておりますけども、それと同じくらい国際関係にとって大きなニュースなのがこちらの方なんじゃないのかなぁと。それは単純にアメリカのダブルスタンダードとかそういう問題ですらない。確かにロシアやアメリカが動くこと自体は大きなニュースだけれども、言ってみればそれは過去の延長上でもあるわけで。ところが今回のエジプト(サウジ)UAEラインは微妙に違う。
ついに一線を越えた感。

ドバイのシンクタンクINEGMAの調査ディレクター、セオドア・カラシック氏は「中東の有力国が周辺国を支援するために、独自の方法をとっていることが重要な点だ。中東諸国は外部の決定を待たずに、自らの力で秩序を保ちたいと考えている」と述べた。

UAEの政治学者アブドゥラ・アブドゥルカレク氏は、リビアが破綻し過激派の輸出国になれば、エジプトの安定が脅かされると指摘した。

エジプトなどがリビアのイスラム勢力空爆、欧米は介入に反対| Reuters

まぁでも当然の帰結ではありますよね。あのイスラム国の台頭を見れば、イスラム圏に属する周辺国にとってほとんど誰でも他人事ではないことは確実なわけで。しかし、最早『世界の警察官』はアテにはできない。
――だったら自分たちの手でやるしかないじゃないか。
よくアメリカさんちの世界の警察っぷりを批判する声があったりしますけど、その後にやってくる世界と言うのは、概ねこうした世界観なわけです。自らの安全を確保するためにそれぞれが独自の行動を採る世界。まぁそれって現在まで続く国連の素案となった「四人の警察官」のような世界秩序とは、まったく相容れない国際関係であるわけです。それこそルーズベルト大統領が唱えた「四人の警察官」構想も、それぞれの警察官がそれぞれの地域で勝手な行動を採りかねないからこそ、その構想がそのまま国連に取り入れられることはなかったのです。
だって誰もが「勝手に」動くようになってしまっては、そこに秩序もへったくれもありはしないから。
これまであったアメリカの世界の警察官の振る舞いには、確かに批判は多かったものの、それでもよりベターな選択肢として世界中の当局から容認されていたのは常にこの懸念があったからなのです。アメリカが仮にやめたとして、一体誰がその穴を埋めるのだ?



さて、問題はこれが(シリアイラク方面に気を取られた)アメリカ後退の一時的な出来事なのか、あるいは今後の恒常的な流れとなっていくのか、という点でしょう。誰もが警察官となる世界。多極化って結局はそういうことなんですよね。
みなさんはいかがお考えでしょうか?