国の境目が、生死の境目であってはならない(財布的な意味でも)

情けは人の為ならず。



難民危機:欧州のボートピープル | JBpress(日本ビジネスプレス)
欧州移民危機の冷たい現実 地中海で相次ぐ難民船転覆、EUの対応に期待できない理由 | JBpress(日本ビジネスプレス)
ということでここ1~2年で激増した地中海南岸から押し寄せる難民に人道自慢なヨーロッパが右往左往、だそうで。これまでも何度か書いてきた冷戦以降顕著になった国際問題における『難民』の重要性についてはずっと言われてきたので、まぁそらそうなるよねという辺りで。


まぁそもそも論をすれば、何で彼らがかなり分の悪い掛けにもかかわらず決死の思いで地中海へと船に乗るかってそりゃ彼らにとって「ヨーロッパ側にそれだけの価値がある」と同時に、上記評論中でも述べられているように、戦争や迫害や無政府状態によって「生命自体の価値がそこまで重くない」という意味でもあるわけで。
――このギャップがある限り、そりゃ彼らは(文字通り生命を賭けてでも)海を越えてきちゃいますよね。
医療格差問題において有名な言葉に「国の境目が、生死の境目であってはならない」というのがありますけども、あれってただ人道主義的な意味だけから必要性が言われているわけじゃないんですよね。まさに、今回のボート難民の事例が証明しているように、それが致命的な格差となってしまうと必ずこうしたイチかバチかの「難民押し寄せ」という構図が生まれてしまうからでもあるんですよ。
(生命の価値の高い)私たちからすればどう見ても無謀な行動も、しかし(生命の価値が限りなく安い)彼らからすればそこまで無謀な賭けではなくなる。
故に、人道主義だけでなく功利主義としても彼らを救わねばならない。情けは人の為ならず。


ところが動けないヨーロッパ。

 だが、現在の欧州では、そうした協力が不足している。各国首脳は、EUレベルで難民政策を協議しているものの、それぞれの国内での自分の権力は油断なく守ろうとしている。

 そのため、世論や反移民政党の脅威に気を配る首脳たちが、EUに責任を転嫁すると同時に、多数の難民を実際に受け入れるはめになるのを避けるということが起こり得るのだ。

難民危機:欧州のボートピープル | JBpress(日本ビジネスプレス)

ここでむしろEUという集団の存在が「行動しない言い訳」と機能しているのは、皮肉が効きすぎた結果だよねぇと。それはまぁ実際、私たちが社会生活でも多かれ少なかれ感じる、あるあるなお話ではあります。
集団行動によって『責任』の所在が曖昧になるから。
もちろん現実の会社組織でも見られるように、各部門にある程度の裁量が付与されていれば、むしろ責任の曖昧さが――個人的な責任を採らなくて済む故に――果断な行動を生むこともあったりする。ところが逆に、なまじ民主的な意見集約が必要になると、各プレイヤー間の利害調整が死ぬほど複雑になって前にも後ろにも進めず手詰まりになってしまうんですよね。
これは現状の『欧州連合』という存在の抱える問題の根幹そのものでしょう。一方には「民主主義の赤字」があり、もう一方には「集団行動故の機能不全」があると。


あちらとこちら、その生命の価値の重さの格差、に苦しむ人たち。
がんばれヨーロッパ。