『文明の(肩をぶつけ合う程度の)衝突』

正面衝突しないにせよ、舌打ちしながら肩をぶつけ合う程度にはなるかもしれない。


風刺画コンテスト会場前で銃乱射、警察が男2人を射殺 米国 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
ムハンマドの風刺画展で銃撃事件 アメリカのダラス近郊 | ハフポスト
少し前にあったアメリカでの『表現の自由』での銃撃事件のお話。

【5月4日 AFP】米テキサス(Texas)州で3日、イスラム教の預言者ムハンマド(Prophet Mohammed)の風刺画コンテスト会場前で銃を乱射した男2人が警察に射殺された。警察官1人も負傷した。

 この漫画コンテストは米団体「アメリカン・フリーダム・ディフェンス・イニシアティブ(American Freedom Defense Initiative)」がテキサス州ダラス(Dallas)近郊のガーランド(Garland)で、オランダの極右政治家でイスラム教を批判する発言で知られるヘールト・ウィルダース(Geert Wilders)氏を招いて「言論の自由」のイベントとして開催したもの。

風刺画コンテスト会場前で銃乱射、警察が男2人を射殺 米国 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

いやまぁ個人的にはやはり「無駄に煽りまくったツケ」という面はかなりあると思うんですが、しかしフランスでの事件なんかも含めて「こうなる」のも無理はないかなぁとは思うんですよね。まさにハンチントン先生が仰った『文明の衝突』的な意味で。
そもそも彼が言った文明の衝突って、これからはイデオロギーではなくまず文化によって互いの独自性を確認する時代になるだろう、というお話だったわけですよね。文化の差異こそが重大問題となって、社会内部だけでなく外部社会との関係においても「互いの」文化へ注意し合わなければ悲劇が起こりかねない、と。
もちろん文化の差異による相互作用は、ただネガティブなだけでなく相互刺激によって創造的な変化を生み出すこともしばしばあります。ただ、悲しいことに、やはりそんな幸運な事例ばかりでないこともやっぱり事実でしょう。


で、そうした一方による独自性の確認行為は、必ず他方のそれも誘引することになる。フランスのアレはある種の象徴的事例として今後もしばらく、どちらからも、そうした過激な主張を招くことになるのでしょう。まさに相手が「神は偉大なり!」と叫んでいるからと、彼らもその声に対抗しようとして「自由は偉大なり!」と叫ぶ。
もうどちらが先にそうしたかなんて水掛け論には意味がない。おそらく、それがそのまま正面衝突となる事例はほとんどないでしょう。しかしちょっとした摩擦はこれからも起きていくのではないかと思います。何故ならそれこそが文化であり、つまり自分たちが自分たちらしく生きる道だから。


その意味で言えばハンチントン先生の『文明の衝突』は半分正しくて半分間違っているのかなぁと。
さすがにそれだけで戦争をするほど私たちは愚かではない。せいぜい銃を打ち合う程度の衝突。


少なくとも今はまだ。