世界最初の枢軸時代を担ったギリシャは、きっと今でもすばらしい民族なのだろうなぁ!

ようやく出たヒストリエ九巻を読んでて「あの当時既に偉大すぎるギリシャアテネ)幻想ってあったんだなぁ」とふと考えた発売記念日記。


ギリシャに資金なく支払えない、ただそれだけ=外務次官| Reuters
内憂外患なヨーロッパさんちにとって、内の頭痛の種。まだまだ炎上中のギリシャさんちであります。

この日はチョウンティス外務次官(欧州問題担当)が国内テレビに対し、「ギリシャには資金がないため、支払えない。ただそれだけのことだ」と発言。

ギリシャに資金なく支払えない、ただそれだけ=外務次官| Reuters

身も蓋もなさ過ぎて草しか生えない。それ以上でもそれ以下でもないクワトロさんっぽい。



ともあれ、改めてこのギリシャ問題を考えると、やっぱり周囲が勝手に抱く古代ギリシャというヘレニズムな理想像と、現実の現代ギリシャが見せる有様との「ギャップ」が更なる怒りを増大させてしまっているのが、悲劇の大きな要因の一つではないかと思ったりします。
理想と現実のギャップってつらいよね。
近代ギリシャの建国時期にあった欧米諸国から押し付けられた新古典主義や理想主義が、現代でも尚も続いているだろうなぁと。親たちは「何でもっとうまくやってくれないの」と勝手な期待を抱いては、子は「うるせーババア俺の勝手にやらせろ」と反発する。
反抗期かな?


まぁこの辺は、ヨーロッパほどではないにしろ、私たち日本でもしばしば勘違いされているお話ではあります。つまり同じギリシャでも、あのエポックメイキングな古代ギリシャと、近代になってから「復活させられた」ギリシャには、せいぜい名前と土地と遺跡くらいにしか連続性はないわけですよ。むしろ2000年後ギリシャに住んでいた彼らは自らこそが(トルコに敗れ吸収されたものの)偉大なる東ローマ帝国の、ビザンツ帝国の、ギリシャ帝国の最後の後継者*1だと考えていた。
ところが「ギリシャイスラムから解放する」と意気込んでいたヨーロッパやアメリカの人たちはそうは考えていたなかったわけで。
当時のアメリカ大統領*2はそのギリシャ復活に際して次のように述べていたほどであります。

ギリシャの名前は、もっとも高邁な感情で心を満たし、人間性に可能な最善の感情をわが胸のうちに目覚めさせる」

善意溢れる彼らは今も昔も無邪気にその理想を乗り込み押し付けようとしては、現実を知って落胆する。
――2000年の間にキリスト教化したギリシャには、アキレスやアイアスといった英雄も、大ペリクレスのような偉大な政治家も、ソクラテスプラトンな哲学も、アイキュロスやソフォクレスな詩もなかった。


ギリシャ危機関連でユーロ運用の致命的ミスとして語られる「(恣意的基準による)ギリシャ加入」って、まぁ概ね正しい批判だとは確かに思いますけども、しかしぶっちゃけギリシャって生まれた時からそんな風に身勝手な理想を欧米社会から押し付けられてきたかわいそうな子でもあるんですよね。
ついにイスラムから取り戻したこの子は(血統が抜群に良いのだから)素晴らしい国になるに違いない、と一八三〇年のあの時親たちは信じて疑わなかった。ヨーロッパ世界の始祖であり、世界最初の枢軸時代を担ったギリシャは、きっと今でもすばらしい民族なのだろうなぁ!

ギリシャには資金がないため、支払えない。ただそれだけのことだ」

ギリシャに資金なく支払えない、ただそれだけ=外務次官| Reuters

それが今ではこんなことに、と考えると皮肉が効き過ぎてて歴史って面白いなぁと変な笑いが出ます。ヨーロッパ人たちの押し付けた希望もあって東ローマ的性質からヘレニズムへと転生したはずが、東ローマ的性質(ヨーロッパ人たちが例によって例の如く適当に考えた『怠惰』な東方性)が見事に出ている。いやもしかしたら、一周まわって奴隷バンザイな古代ギリシャそのものなのかもしれませんけど。
(かつての味方にすぐ裏切られる)アメリカに見る目がないと言われますけども、ヨーロッパだって大概ですよね。




建国からそろそろ200年。こんなことなら「ギリシャ」なんて名前使わなければよかったかもしれないね。そうすればもう少し期待感も低かったかもしれない。
――いやまぁむしろ近代ギリシャ独立戦争時代に彼らが正しく自称していた「ローマ」だったりしたら、こっちはこっちで欧州人な人たちのリビドーを刺激しまくっていたので同じようなパターンかもしれませんけど。
がんばれギリシャ

*1:この辺は歴史学としても現代でも色々諸説あってめんどくさい部分でもあります

*2:モンロー主義で有名なジェームズ・モンロー大統領