(日本人の)心、傷深く、自縄自縛確実

「ふつうって言うなー!」と言いながらも普通に縛られるのをやめられない



豊かな日本で「自由」を実感できないのはなぜか | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
へー、面白いアンケートだなぁと。実態の制度面がどうこうではなく、感覚のアンケート。「選択の自由」に関して絶対的大きさというよりも相対的な感覚について。以下適当な日本人論についての日記。

メキシコが8.44点で最も高い。2位はトリニダード・トバゴ、3位はコロンビアと、中南米の社会が続く。前述のアメリカは11位、スウェーデンは15位、ドイツは42位、韓国は47位、そして日本は下から2番目という位置だ。日本の国民が肌で感じる人生の自由度は、カースト社会のインドに次いで低い。この結果には、いささか驚かされる。

 中南米の国々は貧富の格差が大きく、階層間の移動も容易ではないはずだ。「生まれ」によって所属階層が決まる度合いは日本より高いと思われるが、それにも増して人生の多様な選択肢があり、人生の随所でやりたいことができるのかもしれない。

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まぁ確かに実際にはともかくとして、日本人は自由の実感を――それこそ世界最低のレベルで――持っていない、というのは当事者である僕もそのように思っている人が多いだろう、と概ね同意するところではあるかなぁと。
まぁふつうの大人ならば、懐かしみながら子供時代を振り返ると薄々気付くように、必ずしも行動の「自由度」が大きいことが幸せだとは限らないんですけど。





ともあれ、ただこの結果って言い換えれば、単純な自由の多寡というお話ではなく、私たちは「かく生きるべし」という人生観・幸福観・社会通念・常識と呼ばれる共通価値観に沿って=縛られて生きていることの証左でもあると思うんですよね。
つまり、何故私たちの自由への実感が小さいかって、そりゃそうしたあるべき「一般的な人生」という常識を信じているからこそ、でしょう。例えば、マイホームを持って可愛い子供が二人で幸せな家庭、なんて見果てぬ中流幻想。あるいは善良な親たちがごくごく自然に子供に願う、素朴ながらも普通の幸せを、なんて。


それこそ、もし自由の実感が欲しいのであれば「一般的日本人の幸福像」なんて別に信じなければ良いんですよ。そんなものに縛られているから、なまじあるべきゴールが見えてしまっているからこそ私たちは「自由が無い」と感じてしまう。最終的な幸せの理想像が似通っているんだから、そりゃ選択肢がなくなるように感じるのも当たり前ですよね。
――でも大多数の私たちはそんな「ふつう」を夢見ることをやめられない。
そしてあるべき「ふつう」を信じてしまう故に、当然の帰結として自由の実感は失われていく。それとは逆に、個人が自由に生きどんな人生を夢見るかはそれぞれ人それぞれである、という価値観が強い社会であれば自由の実感を持ちやすいのも理解できますよね。


だからこのアンケートで読み取れる日本人の『自由の実感』ってかなり自縄自縛で、私たち自身の社会通念への『信奉の強さ』でもあるのだと思います。自由を求めながらも、しかし私たちは自分自身で自由の実感を狭めてもいる。
上記引用先では「豊かだが抑圧の強い社会」と評していますけども、社会学的に言えばそんな抑圧を生んでいるのはぶっちゃけ私たち自身の(再生産された)社会通念なんですよね。確かに昔からそうした抑圧はあった、しかし今現在それをやっているのは他ならぬ私たち自身なんですよ。何故そうした抑圧が強いかって、そりゃ社会の構成員がそう信じているから他ならないのだし。
多くの私たちは平均的日本人としての「かく生きるべきだ」像を強く信じている。そんなもの信じなければ自由な幸せを追求できるのにね。しかしそんな伝統的価値観をなかなかやめられないっていう現代日本人の抱える複雑怪奇な心理的葛藤。
自由の実感を求めながら、しかしその果てにある幸せの形の『多様性』についてはほとんど考慮しようとしない。といってもまぁそうした一般的幸福像を信じることが、良いか悪いか、については個人的にはどうでもいいと思っています。信じたい人は信じればいいし、そうではない人は信じなければいい。
ただあんまりこれを言うと――徐々に格差が広がっているとされる日本において――超シバキな人たちの言う「貧乏人は貧乏人なりの幸せを追い求めればいい」と言い放つのと紙一重でもあるんですよねぇ。
かくして私たち日本人は、かつてあった夢を尚も追い続けては「自由がない」なんて嘆くことになる。


今回のアンケート結果を見る限り、長期的傾向としては縮小しつつあるものの、尚も多くの日本人はそうした「一般的日本人の幸福像」を疑問を抱きつつも捨てきれずにいて、だからこそ自由の実感を味わえないのではないかと。


みなさんはいかがお考えでしょうか?