(自らのポジションの正当性について)心が叫びたがっている人たち

概ねタイトルが書きたかっただけ。


脳科学者 茂木健一郎氏、デマツイートに騙されて「アハ」体験? 【安保法制】石井準一 - NAVER まとめ
安保法反対派「自民議員『総理の期待に応えるためにも本法案の成立が必要』」→蓮舫議員「議場で耳を疑いました」→デマ - Togetter
うーん、まぁ、そうね、愉快な人たちではあります。でもまぁ仕方ないよね。いつだって人は聞きたいことを聞くものであるし、金槌を持つ人間はなんでも釘に見えてしまうのだから。




面白いのはこうしたお話の本題ってあるニュースがまずあったとして、「だから」云々という点ではないんですよね。むしろまずそれを聞いた見た人間の文脈――インセンティブ・社会規範・判断の枠組み・過去の経験や教訓――があって、「やはり」と自らの意見に沿う形で自らの意見が(やはり)正しいのだと言いたいということこそ重要なわけですよ。
だから実はデマであろうがなかろうがそのニュース自体に意味はなく、ぶっちゃけああした人たちにとって詳細の中身はどうでもいい話のフックであり仕掛け=マクガフィンでしかないのです。「ともあれ、カルタゴは滅ぶべきであると考える次第である」とやってることはあんまり違いはない。


故に彼らにとってそれはひたすら『合理的行動』である。むしろこうした人たちはあまりにも合理的一直線で突っ走ってしまう為に、そのネタがデマだろうが真実であろうが気にも留めず、結果として踊らされることが多くなる。合理的行動の結果、彼らは「こんなニュースであれば、あんなニュースであれば、一番得るものが大きいだろう」と結論に飛びついてしまう。心が叫びたがってるから仕方ないよね。
ひたすら現実とは自分の価値観通りであるはずだと目がくらんだ楽観的な人たち。まぁ是非はともかくとして、そのように生きられれば幸せだよなぁとは思います。優しい世界だものね。


ともあれ、別にこれは安倍政権だけではなく中国韓国でもアメリカでもユダヤでもイスラムでも黒人でも在日でもなんでも同じであります。その意味では、悲しいことに、誰もが同じ穴の狢なんですよね。私たちは、自らの意見に沿うニュースをただ聞きたいからそう聞こえるというよりは、その聞いたことをテコに自身の正当性を叫びたいだけ。


ということでオチとしては、茂木さんも蓮舫さんもあの主人公たちと同じく「心が叫びたがっているんだなぁ」という時事ネタでひとつ。二次元だとあんなに感動したのに三次元でやられると絶望するしかないんですけど。やっぱ三次ってクソだわ。








――え、映画の感想ですか、そうですねネタバレしない範囲で言うと、すごく可愛いヒロインが満面の笑みで「知ってるがお前の態度が気に入らない」をいつやってくれるのか本編そっちのけでwktkしてましたが、そのうち「心は叫びたがってるがお前らの態度が気に入らない」というネタを思いついてしまい一人笑ってはいけないに陥ってしまってラスト感動の嵐の中別の意味で震えてました。