(正しい意味での)反知性主義の極北

まぁそれってぶっちゃけると「バカ」という誤用的な意味にもなってしまうんですけど。


「ポル・ポト<革命>史 虐殺と破壊の四年間」山田寛 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
(当日記でもよく揶揄ネタにする)ポルポトさんのお話についての面白いお話。

本書では以上のような特徴について、シハヌーク体制下でのポル・ポトの台頭からポル・ポト死後の現体制までの通史の中で描き出しているが、一方でやはりよくわからないことの方が多い。やはり、なぜこのような政策を実行しようと思ったのか、その発想の源泉はどうにも見えてこないし、ポル・ポト政権崩壊後も一定の支持を集め続けた理由もよく見えてこない。確かに虚構の革命であり、実に子供じみた妄想としか見えないのだが、やはりポル・ポトを分析し総括するにはまだまだ明らかになっていないことの方が多いようだ。また、米国と中国の思惑とベトナム戦争の趨勢がポル・ポト革命の誕生と激化に大きな影響を及ぼしていたことも本書では特筆されている。

「ポル・ポト<革命>史 虐殺と破壊の四年間」山田寛 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

個人的には「発想の根源」については、同じテーマを扱ったフィリップ・ショート先生*1の『ポル・ポト―ある悪夢の歴史』なんかで理解しています(でも読んだの結構前なので記憶曖昧)。確かこちらの本だと、時代における世界的流行だった『社会主義運動』と『反知性主義』の文脈から説明していました。
ポルポトさんなんかはまさにタイミング良く、あるいは悪く、当時の世界的トレンドの最先端にあったフランスパリでそうした学生(社会主義)運動とその徒花の一つでもある反知性主義に見事に傾倒してしまった。ただまぁそのこと自体は彼らだけでなくフランスの若者にアメリカでも日本でも同様、特に珍しいものではなかったわけですよ。文化大革命然り五月革命然り全共闘然り、アメリカなんかではそこからヒッピーやオカルトブームに繋がっていったりした。
熱意だけはあるが現実性に欠ける若き運動家たち熱狂の時代。60年代後半から70年代まで。
しかしそうした流れはアメリカでもフランスでもそして日本でも、結局は現実社会が持つ復元力によって彼らの主張は非現実性として押し流されて行ってしまった。一方でポルポトさんが帰ったカンボジアではその復元力が働かずに、まぁ見事に行きつくところまでいってしまったんですよね。かくしてあのバカげた反知性主義的実験は現実のモノとなってしまった。ちなみに同じ様に行くところまでいってしまった事例である中国の方は、それを権力闘争に敢えて利用した結果、あんなことになってしまったわけで。
学問はブルジョワの遊びであり権力者の道具である、なので知識層は農村へ下放しよう、なんて。




安倍政権を「反知性主義」と批判してた小田嶋隆氏が専門家から「お前こそ反知性主義の典型だよ!」と名指しされてワラタ(※これ、理由があります) - QUIET & COLORFUL PLACE- AT I, D.
少し前にも見えない道場本舗さんのところで、反知性主義についての面白いお話があったりしましたけど、そもそも反知性主義って単純に「バカ」という意味ではなく(しばしば現実運営で失敗する)インテリへのカウンターとしての『愚者の知恵』的な意味があるわけですよね。その意味で知識一辺倒な現実理解に対する批判としては正しい面は確かにあるのです。歴史だけでなく、経験から学べることは少なくない。数百年前に証明されたように、痴愚神を礼讃することは確かに社会風刺として効果的な面がある。
しかし当然のことながら、世の中を多くを動かすのは少なくとも平均以上の知恵者であり故に彼らの失敗が目に付くわけですけども、だからといってじゃあ知恵に頼らない者ならば成功するかと言うとやっぱりそんなことはないわけで。それって現代日本人である私たちですら陥りがちな、典型的な認知バイアスでしかない。


反知性主義がもたらす悲劇って本質的にこうした勘違いというだけでなく、それが現実の社会運動が結び付いてしまうことこそが原因だよなぁと思います。それをあくまで風刺レベルにとどめておけばよかったのにね。しかし、既存権力に対するカウンターな社会運動が、反インテリ反知性という風に悪魔合体すると異形の怪物が生まれることになる。更にはその怪物に対する抑止力がなかったりすると……。




ということで歴史から学べる教訓としては、社会運動と反知性主義が結び付いてしまう悲劇、という辺りかなぁと。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:毛沢東の方も面白い。