機密保持か公益か

現代アメリカ政治史において重要なテーマではありますよね。


【マンチェスター攻撃】英警察、米当局との情報交換を停止 メディアへのリーク受け - BBCニュース
面白いお話。ヨーロッパからの「アメリカの機密取り扱いガバガバすぎひん?」というお話。まぁ漏らす方も漏らす方だけど、それを報道する方も報道する方ではありますけど。でもこうしたリーク&報道ってアメリカ政治の華というか悪弊というか、むしろ「常態」ですらあるから仕方ないよね。

英政府筋は、今回の捜査過程で2回目となったニューヨーク・タイムズ紙へのリークについて、「(これまでのものとは)別の次元」だとし、政府全体に「信じられないという思いと驚愕(きょうがく)」が広がっていると述べた。
グレーター・マンチェスター圏のアンディー・バーナム市長は、捜査情報のリークについて駐英米国大使に問題を指摘したという。
実行犯とされるサルマン・アベディ容疑者の名前も、当初は米国側が米メディアに情報を提供した。これについてアンバー・ ラッド内相は、米政府に対して不満をあらわにし、「二度とあってはならない」と伝えたと明らかにしていた。

【マンチェスター攻撃】英警察、米当局との情報交換を停止 メディアへのリーク受け - BBCニュース

今回それが偶々イギリス由来の情報だったというだけ。もちろん今回こうしてイギリス側が激怒しているように、デメリットはあるわけですよ。本邦でも捜査情報がマスコミから流れて大混乱な風景。あちらでもこれまでも度々こうしたお偉いさん方の「口の軽さ」は問題になっていて、特に対テロ戦争が真っ盛りになってからは機密情報を漏らすことで捜査や軍事作戦が妨害されたという指摘はアメリカ国内でも既に結構あったりしてきた。


もちろんそこに個人的なうっかりや重要人物として見せたい自尊心があることもしばしば――というか大多数でしょうけど、アメリカ政治と報道の半ば文化として、情報リークが『正義の行為』としてこの構図が特にリベラルな報道から要請されている、という根深い問題でもあるんですよね。
古くはベトナム戦争そしてウォーターゲート、少し前ではイラク戦争でも失態なんかもそうでしたけど、こうした歴代米政権の不祥事が詳らかになったのは内部からの「政権ではなく国に仕えているのだ」という正義感から行われたリークが決定打になってきたわけで。それこそウォーターゲート以来『調査報道』の大家となったボブ・ウッドワード先生の手法だって、匿名情報源からの機密ないしそれに近い情報を元にしたモノでもあり、ぶっちゃければそれは本来守るべき秘密を守れない多数人たちのおかげで成立している。歴代政権の内幕を明らかにしてきた内部情報たち。
――実際それは成功を収めてきている故に、最早彼らの日常にもなってしまっている。
故にもうこれってアメリカ政治ショーの日常の一部なんですよね。口の軽い人たちと、そして(どんな理由があれ)政府が隠そうとする情報は可能な限り公にすることが報道の使命だと考えている人たちの、両者による共謀の帰結。一方でそうした行為は裏を返せば政権攻撃でもあり、更に裏を返せば意図的な情報誘導にもなる。こうした情報リークの使い方が、マスコミ(特に今回のNYTのようなリベラル)にとって恣意的すぎると反発が大きくなっているのがトランプ大統領誕生の一端を担うことになったのは愉快なお話ですけど。



文部科学省前次官が会見「文書なかったことにできない」 | NHKニュース
最近の日本でもローカルに盛り上がってるナンタラ文書も、こうした視点で見ると面白いかもしれないね。内部文書をなぜか今になって表に出したのは、公益と確信しているのか、それとも……。あ、やっぱ面白くないかもしれないね。


機密と公益について。機密はある程度必要かもしれないが、しかしそれが過ぎれば密室政治な陰謀にもなりかねない。
みなさんはいかがお考えでしょうか?