政治家たちの特別な言の葉

「強い言葉を使うとマジで強く見える」ことを賢しくも知っている人たち。





うーん、まぁ、そうねえ。個人的には言った方も言われた方も、ぶっちゃけよくわからない人たちなので、実際に非難が正当なのかという本題には触れないのが誠実なのでスルーするとして。




ただ一般論としては「レイシスズムやファシスズムへの加担」だなんて強い言葉を使う人だなあとは思うところではあります。いやまあもしかしたら言われた側の高橋さんという方がそうした非難に値するほどの人種差別主義者であったり独裁志向丸出し人なのかもしれませんけど。
あるいは言った側の人はそれはもう気軽にその言葉を使っているだけなのかもしれない。
――実際今のネット上では日常的光景となっているように、レイシストファシストも『現代のヒトラーだ!』位にはもうカジュアルに使われ過ぎて、すっかりその批判の意味は失われつつあるよねえ。アメリカやソ連の政治指導者が使うファシストという意味について昔はのぅ~なんて言うと時代による言葉の変化についていけない老害っぽさありますが。


ともあれ、しかしこうして『政治家』というポジションの人が公で「レイシスト」「ファシスト」と言ってのけてしまうのは、まぁ民主主義者信仰者としては正直ちょっと危惧をしてしまう状況ではあるんですよね。
みんなだいすき愛染隊長が仰っていたネットの定番ネタでもある「あまり強い言葉を遣うなよ、弱く見えるぞ」なんてのがありますけども、あれってミクロな個人関係としては概ね正しいお話でしょう。それこそ昔から「弱い犬ほどよく吠える」なんてことわざがあるように。
しかし一方で、マクロな構図、政治家や革命家などが大衆へ訴えかける為の態度としてはものすごく合理的な言葉の選び方でもある。
考えたら当たり前ですよね。大衆訴えかける言葉としては、短ければ短いほど、そしてそのメッセージは強ければ強いほどいい。


であればこそ、現代民主主義政治で大きなトレンドを生み出したオバマさんの「Yes We Can!」や、次のトランプさんの「Make America Great Again」次の選挙を狙う今では「Keep America Great」、あるいはボリスさんの「Get Brexit Done」というフレーズでもあったわけでしょう。
とにかく印象に残るような強い言葉を使った方が多くの人たちの心をつかむことができる。
個人間であれば疑問点に思ってしまうような言葉の使い方でも、集団になると思考停止し素直に受け取ってしまう。
いやぁわたしたちってほんと衆愚よね。
故に強い言葉を使うのは、所謂ポピュリストな大衆扇動家しぐさとしては合理的だし正しい、と言ってしまうと身も蓋もありませんが。



ただ、一方でもちろんそうした政治家が強い言葉を使う行為、特に「反対者を強い言葉で非難する」ことには局地的な戦術としては正しくても、しかし民主主義政治全体にとっては明確なデメリットがある、と『民主主義の死に方』でレビツキーとジブラットは述べているわけですよね。

崩壊への流れは言葉から始まることが多い。大衆扇動家は批判者を挑発的な厳しい言葉で攻撃する――敵、破壊分子、テロリスト……。
(中略)
もし一般の人々が「反対派がテロリズムと結びついている」「メディアが嘘を広げている」という考えを受け入れるようになったら、反対派やメディアへの対抗措置がより正当化されやすい状況が生まれてしまう。*1

結局、危険なのはこうした強い言葉で批判をすることそれ単体じゃないんですよね。
――つまり、こうして相手を強い言葉で批判すると、もちろん相手はそれへの対抗として「同様に」強い言葉でカウンターをしようとする動機・インセンティブを与えることになる。
その強い言葉が生む自身の正当化は、より過激な手段を用いることのハードルを下げていく。正義は我らにあるのだから、多少手段が乱暴になってもしかたないよね。
トランプさん(ついでに安倍さんも)のような政治家たちがメディア批判をするのって、だからこそ、危険であるし効果的なんですよね。それは上記のように支持者を中心とした社会の人びとにも影響を与えることが避けられないから。
だからメディアの自由を規制するべきだ! なんて。
そして本邦やアメリカでも見られるように、それに危機感を抱いたメディアたち側も「強い言葉で」政治家たちを批判しては、そのお互いの過激化の正当化を図っていくという負の連鎖。
この構図というのは、政治家側だけでなくメディア側からも同じように始まる構図であることは忘れてはいけませんけど。


かくして、その報復合戦はやがて既存の規範=民主主義制度そのものを破壊していくことになる。
故に「崩壊の流れは言葉から始まる」のだと。


ファンネルを飛ばす人たち、というとやっぱりこちらも私人間でならば特に現代ネット世界での諍いの普遍的光景ではありますよね。
しかしそこで『政治家』という属性が含まれてしまうと、途端に政治権力と民主主義制度の未来と無関係ではいられなくなる。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:第4章 民主主義を破壊する