終末だというのにあなたは一体なにをしてるんですか? 忙しいわけないですよね? だって世界の危機ですよ?

「気候変動対策ニ賛同セザルハ人二非ズ」と叫ぶ人たち。



グレタさんが振りまく「終末論ムーブメント」――“破滅の未来”はなぜ人々を魅了するのか (1/4) - ITmedia ビジネスオンライン
面白いお話。

 グレタ・トゥーンベリ氏が「気候危機って、未来を修復できない全面核戦争みたいなもの」(前掲書)と断言した通り、今や最も現実味のある「世界の終わり」は「地球温暖化の危機」です。

グレタさんが振りまく「終末論ムーブメント」――“破滅の未来”はなぜ人々を魅了するのか (1/4) - ITmedia ビジネスオンライン

まぁこうした(善意あふれる)人たちが強い言葉を使うこと自体は――賛成するかはもちろん別として――合理的であると理解できるんですよね。
だって強い言葉を使えば使うほど、人びとの危機を煽り耳目を集めることができるから。
だって強い言葉を使えば使うほど、フリーライダーな人びとを減らすことができるから。
だからまぁ気候変動問題をそのままイコールで『世界の終わり』と結びつけるのは、一石二鳥でとっても便利な使い方ではあるんですよ。
何もかも一足飛びで説得力を増す(ように見せかける)ことができる、とっても手軽で簡単な終末論だいすきな私たち。
物語におけるデウス・エクス・マキナのようななにか。彼女が信じるストーリーにおいて、「世界の終わりだ!」と叫ぶのはそういう構図があるのだろうなあと。


ただ、そうした「世界の終わりだ!」という強い言葉には、同時に私たち全人類に向けた「議論の余地のなさ」「拒否権のなさ」という当然あるべき大前提が内包されることになるんですよね。
――世界の危機なのだから、当然だれもが協力すべきである。
穏健的な賛成派ですら彼女の言葉に内心しり込みしてしまうのは、意図しているのか無自覚なのか、こうした強い言葉を使うことによる個人の自由を縛りかねない恐怖政治や全体主義っぽさがわずかに顔を覗かせているからなんだと個人的には思うんですよね。
そこに議論の余地はなく、故に誰もが賛成すべきである、なんて。
気候変動対策に賛成しないなんて人間じゃない。


まぁ上記でも書いたようにやっぱりそのように糾弾すれば、この気候変動対策でも必ず生まれるだろうフリーライダーな人たちを牽制する効果は確かにあると思うんですよね。
一般にはその関係当事者なプレイヤーが多ければ多いほどフリーライダーしようとする人たちは多くなる。
――であれば、この地球そのものを共有地とするこの気候危機においては、事実上フリーライダーは極大化することになる。
そして、だからこそ彼女ような善意溢れる人たちはそのように「セカオワ!」と振る舞っているのでしょう。
やっぱりそれ自体は合理的ではある。


それこそ僕自身も基本的には気候危機があることが認めるし、行動する必要があるということには同意します。
しかし、だからといって、その同意がそのままその対策の為に学校に行かない自分自身の財布を積極的に開くほどか、と言われると正直言葉を濁すしかないないわけで。
そんなもん他の誰かがお金を出してくれた方がいいに決まってるよね。
しかし、もし、自分たちも影響が避けられないマジの「セカオワ」だったら吝かではない、かもしれない。

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その意味でいうと、古くは『灯台問題』から、新しくは社会的ジレンマな『共有地の悲劇』による研究が教えてくれるように、フリーライダーな問題を真っ当に解決するために必要なのは(ウソでもいいから)「公正な負担感」でもあるわけですよ。
平平凡凡たるふつうの私たちが社会貢献にしり込みしてしまうのは、何もケチやわがままに自分さえ良ければいいという自分勝手さが根底にあるからではなくありふれた心情=自分だけが損をしたくない、というそれ自体は責めようのない率直な気持ちがあるからでしょう。
周囲に腐ったリンゴが目立てば目立つほど、私たちはその負担を負うことに拒否感がましてくる。誰だってそうだよね。
公平な分担と、フリーライダーをできるだけ減らすこと、それさえできれば共有地の悲劇の多くは解決する。


この二点こそ気候危機においても世界全体で動き出す最大のエンジンだと思っているので、グレタさんには是非その実現を訴えてもらいたいと個人的には思います。多分先進諸国における政治的な反対派の少なくない部分がそうした感情によるんじゃないかな。
――でも、そんな世界レベルでの「公平な分担」をやってしまったら、所謂後進国発展途上国たちは当然反発するんじゃないの?
『気候正義』の正しさの射程はどれくらい? - maukitiの日記
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まぁ、それはそうだと認めるしかない。
そして、だからこそ、その分担割合を巡って私たち大人は尚も世界的な合意(それに基づいた実際の行動)をできていない。
僕たちより若い世代の――まさにグレタさんのような!――より賢いだろう人たちが、何か冴えた知恵を出してくれるんじゃないかな?
だからこそ、天才ガチャをいっぱい回すために、子供がいっぱい生まれる社会であって欲しいと願う次第ではありますけど。


気候危機対策において、『終末論』を持ち出す以外でその公平感を担保し、フリーライダーを減らすことができるだろうか?
結局このムーブメントが背景にある理由ってそういうところに着地するんだと思っています。
「世界の終わりだ!」と煽ってしまう時点で冷静で建設的な議論など不可能であると、もう語るに落ちてる感はありますけど。


みなさんはいかがお考えでしょうか?