境界線上のイマジン

『それぞれのイマジンがぶつかったらどうなるの?』っと、


スラヴォイ・ジジェク「ウクライナが侵攻されているいま、偽りの平和主義を掲げるなど愚の骨頂だ」 | 真の左派が決して容認するべきでないこと | クーリエ・ジャポン
ということでジジェク先生の、後半なんかはアメリカ帝国批判な割と典型的ないつもの議論っぽくはありますけども、しかし前半部分のイマジンネタは個人的にこれまでウクライナ侵攻を追ってきて言語化できなかった部分のヒントになって為になるお話。

私からすれば、ジョン・レノンの大ヒットソング「イマジン」は間違った理由から人気になった曲だ。「一つになった世界」をイマジン(想像)するのは、地獄のような結末を迎えるうえで一番の方法なのだから。ロシアによるウクライナ侵攻を眼前にしながら平和主義に拘泥する人々は、彼らなりの「イマジン」に囚われたままである。

──想像してごらん、対立状態が武力でないものに解消される世界を……

ヨーロッパはそんな「想像の世界」に固執するあまり、国境の外で繰り広げられている残虐な現実から目を背けてきた。だが今こそ、それを直視すべき時だろう。ウクライナの早期勝利という夢、あるいはロシアの早期勝利という夢を繰り返し語るときは、もう終わった。

スラヴォイ・ジジェク「ウクライナが侵攻されているいま、偽りの平和主義を掲げるなど愚の骨頂だ」 | 真の左派が決して容認するべきでないこと | クーリエ・ジャポン

「対立状態が武力でないものに解消される世界」
両大戦を経たヨーロッパがそうした世界をイマジンし、そして少なくともその域内中心部においては概ねそれが実現できていたのは間違いないでしょう。
まさに英独仏を中心にした対立状況が周辺国を巻き込んで戦争に明け暮れていた――故に『世界』大戦である――ヨーロッパから、欧州連合へと統合することでそんなイマジンの世界を完成させつつある。


しかし当たり前の話ではありますけども、その外側にも当然世界は広がっているわけで。そこでは私たち日本なんかも(二重の意味で)同類で、それぞれが、それぞれの形による平和をイマジンしてきたわけでしょう。
それは、ロシアや、あるいは中国であってさえも。
ここでジジェク先生のいう「「一つになった世界」をイマジン(想像)するのは、地獄のような結末を迎えるうえで一番の方法なのだから」と指摘する点に、リアリズムの視点からするとかなり同意せざるを得ないのは、ヨーロッパやアメリカや日本と同様に、ロシアや中国だって彼らなりの「対立状態が武力でないものに解消される世界」を目指している点でしょう。
武力ではなく大国の威信によって周辺国は無条件に屈服すべきである、なんて。
うんうん、それもひとつの平和状態だよね。こっかしゅけん? 二等国にそんなもん必要ないんだよなあ。
つまり、そこでは平和状態を等しくイマジンしながらも、その平和状態の解釈の違いから、まるで『猿の手』な物語を見ているかのように話が噛み合わなくなっていく。


元々同じ国で属国であるウクライナが我々の要求を受け入れないのが悪い、という武力が用いられない形での「ロシア勢力圏の平和」というイマジンな平和状況を、イマジンを謳う欧米側の方から壊した、というロシア擁護の意見には全面的に同意はできないもののそれなりに一理あるわけで。
対立状態が武力でないものに解消され殺しも死にもしない平和の世界にあったのだから、その為にもウクライナは未来永劫ロシアの属国であるべきだった。
本邦にも少なくない「ウクライナがさっさと降伏すればいい」論者というのはこういう文脈にあるわけでしょう。
ロシアはウクライナとは――良い言葉で言えばイマジンな関係を築いていたのに、しかしウクライナがロシアの言うことを無条件で聞かなくなったために『再び』対立状況を武力で解決するようになってしまった。
イマジンな世界の終わり。


ヨーロッパの側で完成されつつあったイマジンに近づいたために、元々いたイマジンな関係のロシアにこれ以上ないほど明確な形の武力で引き止められようとしている境界線上のウクライナ
いやぁイマジンっておっそろしいよね。地獄のような結末を迎えるうえで一番の方法というのも納得です。

いっそもうそれぞれがどのイマジン=平和状態が最も優れているのか決着を着けたらいいんじゃないかな。
……でもどうやって?
もしかして:戦争


はたしてイマジンを夢見る私たち人類は、そのイマジンな世界の中身について合意できる日がやってくるのだろうか。
みなさんはいかがお考えでしょうか?