「北海道の権利はロシアに」を笑う者は「北海道の権利はロシアに」に泣く

北海道がロシアのモノだという証拠を屏風だしてください。
――それは反対側からも「北海道が日本のモノだという証拠を屏風だしてください」と言われることでもあるんだよね。


「北海道の権利はロシアに」露議員、戦乱に乗じて主張 「暴論」の根拠は?: J-CAST ニュース
『諸国民の公正と信義』を確信していた人たちからすると暴論と言えば暴論なんですけども、でもロシアも中国も(人によってはアメリカやヨーロッパも)ずっとそんなもんだよね。

この記事では、日本による制裁や、北方領土に対する「不法占拠」表現の復活にも触れており、ミロノフ氏の発言は日本側の動きに反応して出たと受け止められているようだ。

ミロノフ氏が言う「一部の専門家」「多くの専門家」が、具体的に誰のことを指すのかは不明だ。ただ、「レグナム通信」では、政治学者のセルゲイ・チェルニャホフスキー氏が「東京(日本政府は)は、歴史的にロシア領であった北海道を不適切に保持している」と主張していることを紹介している。この主張によると、日本とロシアとの国境を択捉島と得撫島の間に引くことを決め、北海道が日本領だとされた1855年日露和親条約は「純粋な誤解」。北海道について次のような主張を展開していた。

「ロシア人開拓者が交易のために開発、植民地化を行い、利用していた。そこ(北海道)にはアイヌ民族が住んでいた。サハリンやウラジオストク近郊、カムチャッカの南部に住んでいるのと同じ民族で、ロシアの民族のひとつだ」

「北海道の権利はロシアに」露議員、戦乱に乗じて主張 「暴論」の根拠は?: J-CAST ニュース

ともあれ、しかし今回のこの北海道の権利発言を真面目に考えてみると、実は今回標的とされた私たち日本を含むリベラルな民主主義国家である欧米諸国にも実は共通している、尚も未解決の政治問題でもあるんですよね。
――つまり、実際にその画定されている(ことになっている)『領土』の正当性、保護すべき『自国民』の範囲、ひいては『国家』の範囲って本当に正しいの? という意味で。
相手に暴論に根拠があるんじゃなくて、そもそもこっちの正論の根拠の方が割と怪しいんですよ。



本邦でも上記アイヌと北海道の問題や、あるいは沖縄などの帰属問題が偶に議論になったりしますけども、確かにその固有の領土というのは突き詰めれば歴史上のある時点における「なんとなく日本である」という確信でしかないわけで。
しかしそれは絶対に日本に限った話ではなく、それは大多数の他の国々でも事情は同じであります。
そのほとんどが、実際のところ「民主化された時点での」国民と主権と領土がそのまま引き継がれているに過ぎない。

合衆国憲法アメリカ国民を定義できていないのは、すべての自由民主主義国家が抱えるさらに大きな問題の反映である。
フランスの政治思想家ピエール・マナンによると、ほとんどの民主主義国家は前からすでに存在した国の上に成立している。主権者が誰かを定義するナショナル・アイデンティの感覚がすでに発達した国の上に成り立っているわけだ。しかしこれらの国は、民主的につくられたわけではない。ドイツ、フランス、イギリス、オランダはみな、非民主的な体制のもと領土と文化をめぐって長期間、ときには暴力的に争った政治闘争の歴史的副産物だ。これらの国が民主化されたとき、その領土と住民がそのまま国民主権の基礎とみなされたのである。*1

かくして民主主義国家に生きる私たちでも実は明確な理論的解答がないまま、北海道は、沖縄は、クリミアは、アルザスは、ケベックは、カタルーニャは、我々の固有の領土であるという確信の下に生きている。
民主化時点でそうだったからといって、過去が違っていたように未来永劫そうだなんておかしくない?」
ぐう正論。
ということで中国やロシアのような領土的野心を見せる現状打破主義者たちの主張には、認めたくはないものの相対的に一理あるわけですよ。ついでに言うと、本邦の一部のネトウヨな人たちが言う「朝鮮や満州や台湾を取り戻せ」という主張にも。
それはなにも彼らの主張の正しさというよりは、私たちの側の理論武装の欠陥によってこそ。



ホッブズも、ロックも、ルソーも、カントも、『フェデラリスト』の執筆者も、ミルも、これまで歴史上の政治哲学の偉人の先生たちは我々が目指すべきリベラルな理性や社会については教えてくれたものの、誰も「歴史上どの時点での国家の範囲に正当性がある」なんて教えてくれなかった。
つまるところ国家とは誰かに想像された共同体でしかない。
っぱベネディクト・アンダーソン先生がナンバーワン!
――でも想像ということはつまり、ロシアにもロシアなりの、中国にも中国なりの想像があるということであり……。
その意味で、当日記でもよくネタとして揶揄する理想主義的な「ヨーロッパ市民」「世界市民!」「宇宙船地球号!」は、その一つの回答でもあります。どうせ万民が納得できるような基準を示せないのであれば、オルタナティブな解答に逃げる方がちょっとは誠実ではあるよね。
香港やシリアやそしてウクライナを見れば解るように、自国民を救ってくれるのは国を超えた市民の連帯()なんかではなく結局自国家でしかない、としか答えようがない現実世界でもあるんですけど。





かくして理性ある我々はその弥縫策として、大戦後の国際秩序として、多少の不満はあっても領土問題の現状を尊重しそれを打破することを禁忌としてきた。
だってその歴史的背景からの領土問題の正当性を持ち出したら収拾がつかないことを解っているから。
それを言い出したらマジでキリがないということを知っているから。
21世紀の今だからこそ領土問題が流行る理由 - maukitiの日記
国境線のレコンキスタ - maukitiの日記
しかし、九段線でも、あるいはクリミアでも、ナゴルノ・カラバフでも、戦後我々が禁忌としてきたその良識は悲しいかな効力を喪いつつある。
つまり万人がそれぞれに自由に考える、正しい自国民、正しい主権、正しい国境線の位置、をめぐる闘争の時代の始まりであります。
いやあネトウヨが微笑む時代だよねえ。
リベラルな価値観なんて今じゃ自国民も固有の国境線()も守ることもできやしねってのによぉ。
「ウクライナ勝てませんよ」「無駄死にしてほしくない」 テリー伊藤がウクライナ人に発言...口論に: J-CAST ニュース
こうした世界観からすれば本邦でも批判されていた「敵が来たら逃げればいい」というのにも一理あります。というか実は一周回ってそういう世界の論理そのものだよね。
正しい戦争をしているのだから、逃げない方が悪いのである。
今なら日本もワンチャン朝鮮や台湾や満州といった領土を取り返しても、妥協しなかった相手の方も悪い、どっちもどっちだ、と擁護してくれるかもしれない。


いよいよ領土紛争のパンドラの箱が開きつつある現代世界。
みなさんはいかがお考えでしょうか?
 

*1:フランシス・フクヤマ『IDENTITY』12章。