『歴史認識』どころか『現実認識』すらすれ違う私たち

もうお互いに「共通の価値観」はしまっちゃおうね。


日本が公開した接触音、韓国側の分析結果は「海軍レーダーではない」 | Joongang Ilbo | 中央日報
自衛隊トップが“威嚇飛行”を否定「韓国側は冷静な対応を」 | NHKニュース
ということで冬の日本海のように荒れまくっている日韓関係であります。ならばレーダー使うのもしかたないね。

日本が21日に自国の哨戒機を韓国がレーダーで照準したという証拠として提示したレーダー接触音が駆逐艦「広開土大王」が保有するレーダーの特性と異なるという軍事専門家の分析が出た。議論になった駆逐艦の射撃統制レーダーSTIR 180の固有パターンが、日本が公開した接触音に現れていないということだ。

日本が公開した接触音、韓国側の分析結果は「海軍レーダーではない」 | Joongang Ilbo | 中央日報

この中で、河野統合幕僚長は、韓国側が高度60から70メートルの低空で自衛隊機が威嚇飛行をしたと主張したことについて、「自衛隊の飛行記録では、高度が150メートル以上、距離は1000メートル以上離している」と述べ、韓国側の主張を否定しました。

また、韓国側が無線でおよそ20回、警告したものの自衛隊機から応答がなかったとしている点についても、「呼びかけに対し、国際法などにもとづいて安全な距離、高度で飛行している旨の回答をしている」と述べ、自衛隊側の対応に問題はなかったと説明しました。

自衛隊トップが“威嚇飛行”を否定「韓国側は冷静な対応を」 | NHKニュース

うーん、とっても、おもしろい!かなしい状況。何で一体こんなコントみたいなこと始めちゃったのかマジわからない。いやまあ当事者の人たちからすればまったく笑えないお話でしょうけど。

改めて見れば構図としては結構単純で、一方では「レーダー照射はされたが、威嚇飛行などしていない」と述べ、もう一方は「レーダー照射などしていないが、威嚇飛行はされた」と述べている。更にはどちらも自分たちこそ科学的・客観的証拠に基づいていると主張している。
ここまで正反対の言い分をしている以上、どちらかがウソをついているのは確実でしょう。でも最早ここまで広く周知されてしまった以上それを認めることは日本にしろ韓国にしろ――国内的での政治正当性を致命的に揺るがしかねないために――簡単には認められない。同じモノを見ていたはずなのに。
真実はどこに? 


ねぼけたひとがみまちがえたのさ。
しょうしゃなんてないさ。
いかくひこうもないさ。






――と、幼児退行して童謡に逃げ何もなかったことにするのもいいですけども、以下いつもの適当なことでも書いておけば誰かが誉めてさんかく位はくれるかもしれないし日記。


個人的には、そもそも「異文化」な人たちの間では何を見て何を感じるかはそれぞれ違うのだ、という当たり前のオチに落ち着くと思うんですよね。
『文明の(肩をぶつけ合う程度の)衝突』 - maukitiの日記
歴史は終わらず、文明が衝突する - maukitiの日記
こちらも当日記の頻出する『文明の衝突』ネタではありますが、そもそもその衝突というのは価値観・規範・思考様式といった文化的差異から、現実の事象そのものへの理解や感想が異なることで生まれる摩擦であります。自由や政治や聖なるものや不浄なるものまで、何を見て何を感じ考えるのかはその人の文化的背景が左右する。そしてその評価基準の違いが個々人の態度となって表出し社会となる。
国境を解放したことでそうした差異が、国家間だけでなく国内に広く持ち込まれるようになった現代ヨーロッパ社会なんてその最前線でしょう。


そのように考えると韓国が言う「脅威を受けた者が脅威と感じれば脅威である」というのには一理あるんですよ。
それこそ(大多数の)私たち日本人がアメリカの行う軍事演習を見てもほとんど何も思わないものが、北朝鮮や中国やロシアからすればまったくの「脅威」だと感じるのには一定の説得力があるように。日本の軍拡が、中国の軍拡が、アメリカの軍拡が、北朝鮮のミサイル開発がそうであるように。
私たちは同じものを見て他人も同じように考えるだろうというのはただ間違っているだけでなく、傲慢ですらある。
そんなことあるはずないのにね。
異なる文化的背景を持っている人は、故にそれぞれで異なっている。


だから今回の件で明らかになったのは、韓国の無茶ぶりというだけでも、あるいは日本の横暴というだけでもなくて、最早『アメリカのパワーの傘の下で』というだけでは覆い隠せなくなった日韓の間にある文化や価値観などの『断層線』の存在なのかなあと個人的には思っています。
それははじめからなかったというわけでも絶対になくて、ただただあまりにも強いアメリカの影響力によって見えにくくなっていたというだけ。
私たちと彼らとは同じモノを見ても違うことを考えているのだ、という世界中にありふれているいつもの異邦な隣人関係でしかなかったというだけ。
ハンチントン先生『文明の衝突』での言葉を借りれば、2018年になってようやく日韓の間で、

イデオロギー鉄のカーテン」に「文化のビロードのカーテン」がとって代わった。

ということなのでしょう。冷戦終結から20年経ってから、今更に東アジアで表出しているのはそれはそれで面白い研究テーマではあります。トランプに感謝だな。


ともあれ、しばしば、不幸で悲劇的な両国の歴史をめぐっての『歴史認識』が議論されてきた日韓の私たちではありますけども、実のところ過去の出来事というだけでなく、今現在目の前にある「現実」についての認識の相違すらあったというのはとっても面白いお話だよね。まずそこをどうにかするべきだった。
客観的証拠や科学的手法が利用できるだろう『現実認識』のすり合わせにすら苦労しているのだから、更に議論が複雑になるだろう歴史認識をすり合わせるのはより難しくなるのは当たり前だったのでしょう。
これまでの苦労が徒労に終わったと嘆くべきか、あるいは苦労が報われなかったことの理由が判明して安堵するべきか。

そもそも日韓は共通の価値観・文化・世界観を持っているはずだ、という前提から出発するから現状に困惑するのであって、そもそも別の文化・世界観・価値観を持っている、という別の前提からすればまったく不思議ではないお話だった。
まぁそれが、一体どちらから離れていったのかは、またそれも異なるポジションから異なる理解があると思いますけど。



大事なのは、だからといってこうした断層線の存在が即衝突や紛争に繋がるかというと決してそうではない点であります。もしそうであったら世界中いつでもどこでも戦争状態ですよ*1
私たちは異なった文化的断層線で暮らしていても、その摩擦を最小限に抑えられるだけの外交の知恵がある。外交儀礼ってそもそもそういうことでしょう。


なまじ「同じ価値観の下で、同じことを考えているだろう」と期待するからこうして摩擦が生まれるのであって、初めからその違いを前提にした上で相手と付き合っていけば今回のような不測の事態は――ゼロにすることは不可能だとしても――減らしていくことは可能なのです。人類の知恵ってすごい。
実際、現代の平和的な国際関係というのは概ねそうやって機能しているのだから。まぁそれを無視して、自分たちの考えこそスタンダードであるべきであるというアメリカやヨーロッパや中国やロシアやカナダなんていう例外もあったりするんでするけど。ん、例外?


今後そうした前提の下、日韓関係は新しく再定義されていくのだと思います。今は生みの苦しみの最中だからね。冬の日本海のように多少荒れるのもしかたないね。


きょうつうのかちかんなんてうそさ。
ねぼけたひとがみまちがえていただけさ。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:いや、マクロな人類の歴史を見たらその通りだというと救えないお話になってしまいますけど。