通常日記

手抜き日記。
 

 
 

  • 中国紙「日本は冷静さ保て」 2プラス2で焦燥感:時事ドットコム
    • 10~20年前位までなら割とそういう話も通ったんでしょうけど。言うのが10年遅いよね。
  • 「 日本など周辺国との領土問題に関しては「(領土)紛争による摩擦は限定的だ」と矮小(わいしょう)化。東・南シナ海での中国側の行為に言及せず「関係諸国は中国が紛争をエスカレートさせる意図がないことを知っている」と強調した。」
    • 言うのが20年くらい遅いよね。

 

 

 

 

 

  • 「誰も守ってくれない」、1人で歩く恐怖を語る女性たち ロンドン失踪事件 - BBCニュース
  • 「自分で自分を守るために、私たちは全ての人を、この人は自分を襲うかもしれないと見なくてはならない。『そうですね、男全員が悪いわけじゃない。推定無罪の原則で全員を扱いましょう』なんて言ってしまったら、そういう時にこういう事件が起きるんです」
    • 個人的にはこうした女性の意見には男性の自分も同意するんですけども、かといってそれを「男」以外の、例えばトランスジェンダーなどの属性にも同様に使うとそれはもう大変な炎上不可避なわけでしょう。
    • ということで表面上はしれっと取り澄ました顔をしながらも、内心にはそんなダブルスタンダードを隠しながら私たちは生きている、という建前と本音の乖離がよく解るニュースだよね。

 

 

  • 五輪式典で女性侮辱の演出提案か 統括の佐々木氏辞任へ、文春報道 | 共同通信
    • 古き良き昭和脳()感溢れてて面白いよね。
    • この話いつもしているんですけど、別にそういう発想なのはいいんですよ。それ自体は完全に時代性の産物でありその発想を責めることは――公で口にするのはさすがにアウトとしても――できない。問題は、そうした発想を持つ人が決定権や影響力を持つ場所で働いている、という構図の方でしょう。「統括」っていうだからせめて有能な老人にやってほしいよねえ。個人的にオリンピックに絶望してしまう理由の一つ。
  • 「渡辺直美をブタ=オリンピッグに」東京五輪開会式「責任者」が差別的演出プラン | 文春オンライン
    • しかし本当に芸能人のスキャンダルだけでなく、すっかり政治ネタまで文春が内部情報ネタの持ち込み先になってしまって面白いよね。ウォーターゲートのタレコミが文春にやってくるようなものですよ。
    • (他の大手新聞社(読売朝日毎日東京などを見ながら)……うん、まぁ、そうねえ。イエローだろうがジャーナリズムはジャーナリズムだもんね。イエローですら無い人たち。これ日記ネタになりませんか?

 

 

 

 

 

 

 

北風よりも太陽に弱い私たち

やっぱり著名な寓話には人間行動についての本質的な箴言が含まれているんだなあって。


セクハラ疑惑のクオモ知事を讃えてきた米民主党のご都合主義 | サム・ポトリッキオ | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
ということでクオモ知事の隠蔽騒動からひと月ほど過ぎて、その悪影響についての論考が徐々に出てきているようで。
アンドリュー・クオモの溜息 - maukitiの日記
「ウソつきなリベラルメディア」か「民主党政治家に忖度するリベラルメディア」か - maukitiの日記
当日記でも、その失態が暴露され始めた頃にコレはクッソ面白いえらいこっちゃ、と日記を書きましたけども、まぁ見事にその通りの展開になってきて面白くなってきたよねえ。
――トランプへのカウンターという面もあって、あれだけ散々クオモを持ち上げていた米民主党やリベラルメディアの責任は一体どうなってしまうのか。
その意味で言えば、かなりの面で「トランプのせい」というのは確かにあって、トランプが居たせいでそんな彼ときちんと対決姿勢を鮮明にするクオモ知事のポジションが相対評価として持ち上げられていたわけでしょう。
そうでなければ、文字通り「世界最悪」というレベルのニューヨークの評価ももう少し冷静に評価することができたんじゃないかなあと後知恵では思ってしまいます。
誠実な会見(隠蔽済み)をするだけでなく、セクシー(セクハラまみれ)なクオモ知事!
コロナ死者数という意味でも、政治家の責任という意味でも、「二週間後のニューヨーク」に東京がなるのは無理だったね。



ともあれ話を戻して、上記ニューズウィークの論考で面白い指摘をしていると思うのは、以下の部分だと思うんですよね。

私たちはメディアの扱いが巧みなカリスマ的政治家にどれほど弱いか、ここで立ち止まって考えるべきだ。コロナ対策に失敗したトランプを聖人扱いした共和党支持者を民主党支持者は批判したが、クオモに対する自分たちの反応も同じではないのか。

ニューヨーク州が全米最多の感染者と死者を出していたとき、なぜクオモ人気が爆発したのか。どんな指標を見ても、クオモの対応が全米最悪である可能性に気付けたはずだ。だが強いリーダーを求める人々は、クオモの威圧感と流暢なプレゼンテーションとタフな口調に魅了された。

セクハラ疑惑のクオモ知事を讃えてきた米民主党のご都合主義 | サム・ポトリッキオ | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

横暴なトランプには頑強に抵抗したものの、魅力的で流暢なプレゼンテーションをするクオモにはころっと騙されてしまった私たち。
『北風と太陽』な寓話そのまんまで笑うしかない。
あるいは「見た目が9割」な話にも通じるところがあって、
結局のところ、私たちは相手の中身ではなくその見た目と立ち振る舞いによって、受ける印象を決めてしまうのだ、と。
そんな人間社会に普遍的に通じる箴言がまた再証明されてしまったよね。





その意味で言えば、今回のクオモ知事の顛末は、それを観客として見ていた私たち自身の色眼鏡や客観的評価について再考させてくれた良いテストケースだったのでしょう。

  • みなさんは「当時」クオモ知事の評価についてどう考えていましたか?

――僕は別にトランプ支持者では全くないものの、ニューヨークの指標を見る限りクソでありクオモへの評価については全然信用していなかったので割と批判的な日記を書いてきましたけど、それでもあちらのリベラルメディアのクオモへの好評価自体には納得していたので50点という感じかなあ。
上記クオモ日記でも書きましたけども、さすがにあそこまで堂々とした態度でウソをついているとまではまったく考えていませんでした。
その意味では、僕もやはり彼の見た目と立ち振る舞いに騙されていた一人ではあるのでしょう。


良いことを考えている政治家とって、あるいは悪いことを考えている政治家にとっても、今回の「トランプとクオモ」というのはものすごく為になる騒動だったと思います。
それと同時に、有権者である私たちにとってもこれ以上ないほど重要な意味を持つ教訓として。

ニューヨーク州が全米最多の感染者と死者を出していたとき、なぜクオモ人気が爆発したのか。どんな指標を見ても、クオモの対応が全米最悪である可能性に気付けたはずだ。だが強いリーダーを求める人々は、クオモの威圧感と流暢なプレゼンテーションとタフな口調に魅了された。

セクハラ疑惑のクオモ知事を讃えてきた米民主党のご都合主義 | サム・ポトリッキオ | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

乱雑で粗野なトランプであれば話は簡単だったんですよ。
しかし、そうではなく、より洗練された次のトランプが出てきた時、私たちは同じように抵抗できるだろうか?


みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

「(プラスチックスプーンも)欲しがりません勝つまでは」

レジ袋だけでなくプラスチックスプーンまで奪われようとしている私たちも、脱プラや気候変動対策など事実上強要されることで「本来持っている権利を奪われている」のだろうか?



「プラスチック製スプーン有料化」検討報道にネットどう反応? ツイート分析で見る懸念と賛意: J-CAST ニュース
ということで俺たちの進次郎がまたやってくれたそうで。

ツイッターユーザーは、今回の報道をどう受け止めたのだろうか。J-CASTニュースは9日、SNS分析ツール「ソーシャルインサイト」を用いて、同日中の19時までにつぶやかれた「フォーク」「スプーン」のいずれかのワードに加え、「有料」というワードが含まれるツイートを分析。19時時点で集計できた7036件のツイートを対象に、ツイート内容がポジティブかネガティブかを示す「ポジネガ分析」を行ったところ、ネガティブな反応(6.88%)がポジティブな反応(3.17%)を上回った。

「プラスチック製スプーン有料化」検討報道にネットどう反応? ツイート分析で見る懸念と賛意: J-CAST ニュース

これまで当たり前にあったモノが消える、という点でネガティブ評価が多くなるのは理解できます。
まぁそうした常態を打破することこそ進歩的運動の意義でもあるんですけど。



ともあれ、ここで面白いと思うのはレジ袋に続くこうした有料化って、前回通常日記で少し言及した原発避難者の怒りと嘆きの声にかなり似た構図になる所だと思うんですよね。
《福島原発事故》自主避難を「自己責任」と切り捨てられた母子避難者の苦悩と闘い | 週刊女性PRIME
それが事実上の強制に等しい『自粛』の構図として。

コロナ禍で、「目に見えないものとの闘いで、どんどん日常生活が奪われるさま」は、森松さんに、原発事故当時を彷彿とさせた。

「“自粛”は、“自主避難”という言葉の使われ方と似ています」

 と森松さんは言う。確かに“自粛”は、自らの自由な選択ではなく“感染拡大がなければ必要なかったもの”だ。

「本来、持っているはずの権利を、手放すことを強要されているんです」

 長期にわたり“自粛”を強いられる中、森松さんの言葉が腑に落ちる人は多いのではないだろうか。「自主避難」も強いられたものなのだ。

《福島原発事故》自主避難を「自己責任」と切り捨てられた母子避難者の苦悩と闘い | 週刊女性PRIME

こうした理屈から、自主避難を強いられているのは人権問題だと国連人権理事会でスピーチまでしている彼女。
その自主避難の必要性や是非はともかくとして、空気による圧力によって生まれた自粛が事実上の権利放棄に繋がっている、という彼女の指摘には一理あると思うんですよね。
それが人権侵害かどうかも同じくともかくとして、本来あった権利が奪われている、という点はまぁその通りだよなあと。
レジ袋でもプラスチックスプーンでも同じ構図で私たちは奪われてしまったわけで。


字幕:グレタさんがEUに訴え、温室効果ガス削減に「できる限り手を尽くして」 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
トラウデン直美さんの「環境に配慮した商品ですか?」発言に飛び交う批判。気候科学者が苦言「反発している人は…」 | ハフポスト
つまり、例えばグレタさんのような「真剣に(その点自体は絶対に疑うことはできない)」気候変動問題にコミットせよと叫ぶ人たちへの反発、あるいはトラウデン直美さんなんかが言うSDGsへの取り組みへの反発って、こうした彼女の『自粛』という空気への反発とかなり近いポジションにあるんじゃないかと。

気候変動に関連する発言にこういった反発を示す人の中には、「自分が批判されてる」と感じてしまう人や、「対策を強いられるのは負担だ」という「負担意識」を抱いてしまう人が一定数いると僕は考えています。しかも、今回のトラウデンさんの発言は、「全員やって下さい」と言ったわけではないでしょう。共感しない人は、行動しなければいいんです。

トラウデン直美さんの「環境に配慮した商品ですか?」発言に飛び交う批判。気候科学者が苦言「反発している人は…」 | ハフポスト

もちろん彼ら彼女らはそんなことはないと否定しているものの、そんなの綺麗事だよねえ。
それこそ上記自主避難者の彼女が強要されているのと同じくらいには、行動しなければいい、なんて選択肢ほとんど想定されていないと思うよ。

「本来、持っているはずの権利を、手放すことを強要されているんです」

私たちは気候変動やSDGsにコミットするように求められ、「本来持っている権利を手放す」ことを強要されているのだろうか?
――それに賛成するか反対するかはともかくとして、少なくとも僕はその通りだと思うんですよね。


グレタさんやトラウデン直美さんが言うことは、ぶっちゃけてしまえば、私たちに本来持っていた権利を手放すべきだ、と発言していることに等しい。その点を誤魔化すのはフェアではないよなあと。
ただ、その上で個人の権利や自由を手放すことによってより大きな大義を実現できる――少なくとも彼女たちはそう確信しているからそう行動しているのでしょうし――まぁ確かにそういう構図があることも間違っていない、とも同様に僕も同意します。
個人よりも社会全体の大義実現を重要視すべきである。
個人主義のおわり? - maukitiの日記
いやあ右も左もリベラルも愛国者も宗教家も、みんなして個人主義の終わりを叫ぶようになってきてwktkしてくるよねえ!

このまま個人の幸福追求を第一とする個人主義が終わり、我々は「個人よりも集団の目的を優先する」集団主義への道程を歩むことになるのだろうか?
――グレタさんが言っていることって(解っているのかいないのか本人は直接口には出しませんけど)結局そういうことなんですよね。
そしてそれは、単純に環境運動という枠組みを超えた、我々の文化や社会や哲学についての重要なテーマでもある。

個人主義のおわり? - maukitiの日記

少なくとも僕は、気候変動やSDGsへのマクロな取り組みや、レジ袋もプラスチックスプーンの有料化のようなミクロな取り組みも、同じように「本来、持っているはずの権利を、手放すことを強要されている」構図そのものだと思うよ。
より大きな大義を実現するために、私たちは個人の権利を手放すように強要されている、ことが一般化しつつある現代世界。
個人主義のおわり。




まぁこれっていつかどこかで見た、個人がガマンすることで集団の大義を実現しようとする社会、そのものなのがやっぱり面白いよね。
「欲しがりません勝つまでは」なんて。
どこぞの戦中ジャップランドかな???
日本人は戦争を忘れてしまったからね。しかたないね。




そうしたい人たちが自発的にやる分には話は簡単だったんですよ。
しかし実際にはそう考えていない私たちも、レジ袋やプラスチックスプーンを拒否することを、社会の空気として事実上強制されるようになっている現状。
であれば、現代の日本社会で進む「脱プラスチック」という空気感も、やはり本来あるはずだった私たちの日常生活や権利を奪われている『人権問題』ということになるのだろうか?


社会全体に関わる重要な問題を解決するために、私たちは――より正確には「私」以外の他の人たちに対して――一体どこまで個人の権利や自由を放棄させてもいいと思っているのだろうか?
レジ袋やプラスチックスプーンの有料化の反発って、つまるところそういう問題に行きつくのだと私は考えています。
そうした本来であれば慎重な議論が必要であろうジレンマについて自覚的であればいいものの、無自覚だったらおっそろしいお話だよなあとも。


日本社会――ひいてはその構成員である私たちは、一体どこまでそれを許容するのでしょうね。
みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

通常日記

手抜き日記。

 

 

 

 


 

 

 

  • 馬にも基本的馬権がある【馬CT撮影風景】 - Togetter
    • これは語るに落ちてるというか。そこに卑猥さを見出してしまっては。英語教師の6の発音を聞いて「それほとんどセックスやん!」と喜んでいた男子中学生と同レベルなのでは。それこそ「〇〇ってもうほとんどセックスなのでは?」というオタク構文に近い。

 

  • 【読書感想】安いニッポン 「価格」が示す停滞 (1/2)
  • 「僕たち技術開発者は、通常業務が終わったあとに残業までして小さなおにぎりの作り方を試行錯誤している。でも消費者は全然喜ばず、「こっそり小さくしている」とSNSに書かれるんです」
    • こんなの面白すぎてワザとやってるんじゃないの。このデフレ社会な日本についての論旨自体には色々と思うところがあるものの、ここがパワーありすぎて他の話が入ってこないレベル。

 

 

 
 

通常日記

手抜き日記。

 

  • ワクチンの副反応を報じる時は… 過去の失敗を繰り返さないため、尾身会長がメディアにお願いしたいこと
    • 誉め殺し感すごい。
  • 「でも、メディアの役割は真実を伝えることですよね。当然良いニュースだけでなく、悪いニュースも伝える必要があります。大事なことはファクトの全体像が正確に社会に伝わることだと思います。」
    • 個人的には、欧米の(グローバルな)リベラルメディアのような――その是非はともかくとして――崇高な使命とともにそれをやるならともかく、「売れれば良かろうなのだ」な本邦マスコミのみなさんにそれを言うのはちょっと酷というか解ってて言っているなら、やっぱり高度な皮肉だよなあと。

 

 

 

 

 

 

  • エログロの深夜アニメで町おこしをするべきではない ? アゴラ
    • コレで「フリーの社会学者」を名乗れるのであれば、僕も「フリーの歴史心理学者」と名乗って名刺を作っても許されるのでは???
    • ともあれ、全きららファンを敵に回した罪は重いよね。いやまぁこの作品に限らず割とデフォルメキャラだからこそ許される所業というのは結構あったりしますけども。

 

 

 
 

『3・11』以来、「自分の頭で考える」ことをはじめてみた私たちがたどり着いた場所

あれから10年。


震災10年…被災地に残る5つの課題と「情報災害」 被害の検証どころか「なかったこと」に 福島在住ライター・林智裕氏寄稿 (1/3ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト
ということで「あれから10年」であります。

東日本大震災東京電力福島第1原発事故から11日で10年となる。福島県では避難地域の復興が進み、食の安全も確認されているが、デマや偏見による「情報災害」との戦いは続いている。同県在住のライター、林智裕氏が寄稿で、10年間の変化と現状について、5つの課題を検証した。

震災10年…被災地に残る5つの課題と「情報災害」 被害の検証どころか「なかったこと」に 福島在住ライター・林智裕氏寄稿 (1/3ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト

ほとんど克服できたこともあれば、未だに尾を引いていることもあってまぁ当事者である私たちとしては色々とジレンマがあるよねえ。
――きっとそれを知らない将来の若い世代からは、それこそ今を生きる現代人たちが戦前戦中のバカな日本社会の出来事を見るのと同様に、何であんなバカなことしたの??? と素朴に聞かれてしまうのでしょう。
かなしいなあ。でもどうしようもなかったんや……。


ともあれ、個人的に興味がひかれるのは、おそらくこの記事の論旨でもあろうこの部分かなあ。

 最後に、今も解決できていない問題を強調しておきたい。「安全」は十分に確保できた一方、「安心」の問題が残されている。

 政治問題化した原発事故には「情報災害」というべき側面が生まれた。プロパガンダを用いた情報戦が繰り広げられ、広まったデマと偏見がさまざまな政策実現の障害になっている。つまり「情報が足りない」という以上に「虚偽や粗悪な情報の過多」にその一因がある。カタカナ表記の「フクシマ」が象徴的だが、これらには特に「リベラル」系メディアや著名人らが加担してきた。

 情報災害については10年経っても被害の検証どころか、「なかったこと」にされている。その後の豊洲市場移転問題やHPVワクチンへの不当な不安扇動に続き、現在の新型コロナ禍でも同じ構図が繰り返されているといえるだろう。

震災10年…被災地に残る5つの課題と「情報災害」 被害の検証どころか「なかったこと」に 福島在住ライター・林智裕氏寄稿 (1/3ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト

先日も「あの」朝日新聞「福島県民がん増える可能性低い」 被曝線量を下方修正:朝日新聞デジタルという記事を出したことでちょっと盛り上がってましたけども、まぁ概ね安全であるということはほぼ確実でもあるわけでしょう。
吉田調書から随分遠くにきたものだ。


しかし実際に安全は確認されても、多くの私たちは安心できない。
なぜなら外ならぬ私たち自身がそう考えているから。
トートロジーかな?
こうした構図の根本にあるのは、やっぱり当時の政府の混乱などによって情報が錯綜した結果として、私たち日本人の誰もが、自らと自らの家族を救おうと「自分の頭を使って」考え情報を集めようとした帰結だとは個人的に思っているんですよね。
「自分の頭で考えている」故に、私たちは安全だというニュースをただ見ても安心はできない。




この構図で面白いのは、そんな風に「自分の頭で考え」「ニュースを疑う」ことってほとんどそのまま陰謀論にハマる仕草そのものでもあることでしょう。
別にそれが悪いと言いたいわけじゃ絶対にないんですよ。
それどころか、むしろホロコーストの歴史についての専門家であるティモシー・スナイダー先生なんは、全体主義への抵抗に必要なのは「自分で調べ、自分で物事を解き明かすべきだ」と指摘しているほどであります。
それは私たち市民が、独裁や暴政への抵抗手段として最も重要な原則の一つであると。
本邦でも、反政権運動としてヒトラーなアベ・シンゾーを追い落とそうとする人たちは、揃ってそういう言説で対抗しようとしていたわけでしょう。
強固な空気である自民党支持に流れるのではなく、自分の頭を使って投票しよう、なんて。




ところがぎっちょん、私たちは専門家の知見よりも「自分で考える」ことを優先してしまうと、まぁ愉快なことに陰謀論にハマってしまうことにも繋がってしまうんですよね。
Qアノンや反ワクチンなどの陰謀論な人たちが、まさに誠実な専門家やニュースすらも疑い、自分の頭で考えた結果ああしたバカな行動に走っているように。

「情報が足りない」という以上に「虚偽や粗悪な情報の過多」にその一因がある。

つまり上記で指摘されているような『情報災害』が起きたのは、単純にリベラル系メディアの罪であるというだけでなく、視聴者自身がそれを望んだ結果でもある。
私たちが真摯に自分の頭で考えようとした結果が、虚偽や粗悪な情報=フェイクニュースが広がる温床になっているんじゃないかと。

  • ひたすら機会主義者なマスコミは、そうした私たちが見たいと思っているニュースを流しているだけ。
  • あるいは、ひたすら社会の木鐸であるマスコミは、そうした「自分の頭に考える」為にと良かれと思って虚偽や粗悪な情報を流しているだけ。


「自分の頭で考える」からこそバカげた陰謀論に走ってしまう私たち。
かといって、ただただ政府公表や専門家の意見やニュースを聞いているだけでは、いざというとき自分の頭で考えられない私たちは悪い政府の言いなりになり、アーレントの言うアイヒマンのような『陳腐な悪』に加担してしまう。


結局、ありきたりな結論ではありますけど、正解はその中間部分にあるということなのでしょう。
そのちょうどいい具合な落としどころについて簡単に語ってくれる人はまったく見当たりませんけども。
それこそ自分の頭で考えるしかない。
――しかしそれ故にまた陰謀論にハマってしまう私たち。いやあニンゲンってかなしい生き物よね。
さっさと誰かが全ての人間に叡智を授けてくれればいいのにね。


「自分の頭で考える」ことと『陰謀論』の、悲しいまでの親和性について。
自分の頭で考えているつもりのみなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

「社会が分断されるとどうなるの?」っと、

リアルな話をすると多分アメリカやフランスみたいになる。


フランス教師殺害事件、女子生徒が事件前にうそをついていたと認める - BBCニュース
たとえウソでもここまで大きな事件になる、というのは本邦でも陰謀論フェイクニュースなどの頭のアレな人たちを勇気づけてしまうニュースだよね。
逆説的にウソをついてでも自分のイデオロギーやポジションに適う言葉を繰り返すことの実効性がまた証明されてしまった感じ。

女子生徒は当初、パティ氏について、言論の自由と不敬行為に関する授業で風刺画を見せる間、イスラム教徒の生徒に教室を出るよう求めたと、父親に話した。

預言者ムハンマドを絵などで描くことは、イスラム教の世界で広くタブーとされる。イスラム教徒からは、かなり侮辱的な行為だとみなされる。

女子生徒から話を聞いた父親は、パティ氏を法的に訴えるとともに、憎悪をあおるキャンペーンをオンラインで始めた。

このキャンペーンについては、パティ氏殺害事件の直後に検察当局が、殺害行為との間に「直接的で予期せぬ関連」があったとの見方を示していた。

女子生徒が父親に虚偽の話をしていたことについて、この生徒の弁護士ムベコ・タビュラ氏は、「クラスメートたちから広報担当者になるよう頼まれ、逃げられない状況にどんどんはまり込んでいく感覚に陥り、うそをついた」とAFP通信に話した。

フランス教師殺害事件、女子生徒が事件前にうそをついていたと認める - BBCニュース

この事件に関するニュースを見ていてひたすら救えないと思うのは、そのキャンペーンを最初に始めた父親はもちろん、こうしてそれを告げた彼女自身ですら「その場にいなかった」という点だと思うんですよね。
実際にそれをした相手の内心を勝手に推測するどころではなく、伝聞で聞いた話からも悪意を見出してしまう。
そんなん無敵すぎるやん。
党派性によって彼ら彼女らは、単純に価値観や良識が異なるというだけでなく、それ故に相手が悪意を抱いているだろうと素朴に確信する地平にまで行きついている。
社会が分断されることの行きつく果て。


一般に私たちの社会において『分断』が危険であるというのはこういう構図に陥ってしまうからなわけでしょう。
単純に両者が相容れないというだけでなく、やがてそこに(実際にあろうがなかろうが)悪意を見出してしまうから。
アメリカ社会の黒人差別問題が陥っているのも概ねこういう構図だよね。
黒人にしろ白人にしろ、一部の人たちは最早相手の行動や発言に『悪意』があるのを常態だと考えている。


そして相手に強い悪意を見出すということは、自身の正当性の確保に繋がり、どんどん許される手段の拡大に走るようになる。
最終的にはどんな手を使ってでも相手を排除しようとするようになると……。
所謂『キャンセルカルチャー』の極致、という感じだよねえ。
いっそ相手の生命そのものを物理的にキャンセルさせちゃえばいいのでは? なんて。





ということで、敢えて綺麗事な解決策を答えるならば、こんな事件が起きてしまうまでに分断された社会において必要なのは、相手には「悪意が無い」と理解することでしょう。
その為には、これまでも散々繰り返されてきた「お互いに対話を続ける」ことで悪意がないと理解し合うことしかない。
まぁそれができないならやっぱり分かれて暮らすしかないよね。
これまでできていなかった――多文化主義ではなく単一文化主義に陥ったヨーロッパの多文化社会()だったからこそ、今こうなっているとも言えるんですけど。


何か失言や失態を犯してしまう度に、そこに悪意を見出してしまう関係に陥ってしまう社会分断の果て。
黒人問題に揺れるアメリカや、イスラム移民に悩むフランスというのは、まぁものの見事に現代社会の「悪い見本」となっていると個人的には思うんですよねえ。
たとえ我が国が中世ジャップランド(まぁその意見自体には一理ある)であろうとも、だからといって、まさかこうした失敗事例を見習えだなんてとても言えません。
むしろ反面教師にするべきだよね。


いやまぁ確かに「問題を無いことにする」彼らの面の皮の厚さには正直感心しますけど。
そうした態度こそが問題を悪化させてきたというと身も蓋もないんですが。
面の皮が厚いからこそ、こんなになるまで社会分断を進めてしまった人たち。やっぱりそうした人権先進国()を見習えなんて絶対に言えない。


社会を分断させたくない、という善人なみなさんはいかがお考えでしょうか?