そもそも独裁者プーチンに『非暴力抵抗』は国内で通用しているのか問題

通用するのであればまず隗より始めるべきなのはロシア国民であるべきだし、もし(現状どう見ても成功しているように見えないロシアのことを知っていながら)ウクライナ国民にそれを言っているのであればこれ以上ないほど残酷なことを言っているよね。


戦うべきか、戦わざるべきか ウクライナ侵攻が問う戦後日本の平和論 [ウクライナ情勢]:朝日新聞デジタル
うーん、まぁ、そうねえ。
普段は想田先生のユニークでオルタナティブな面白発言に対して割と当日記でも批判的に書いていますけども、まぁ今回の件は確かに選択肢の一つではあるんですよね。個人的にも、座右の銘の一つが『順法闘争』であることを隠して生きている僕にとっては、非暴力抵抗運動というのは割と好みの選択肢ではあります。
例えばルトワック先生なんかも、危機に際して何もしないのが最悪であって自発的降伏はそれよりはずっとマシな選択肢である、と仰っているわけだし。
あるいは少し前のシリア内戦の惨劇を思い返してみれば、本邦にも「そもそもアサドに挑んだのが悪い」という冷笑的ポジションの人たちは結構居たわけだし。少なくともあれだけの惨禍となった結果論として見れば、悲しいかなその意見には一定の説得力があるとすら言えるでしょう。



でも、あくまでジーン・シャープ先生のその論理とは「既存の支配者に対する抵抗運動」としての非暴力であって、であればこそ世界中の民主化運動の模範的解答の一つとして讃えられてきたわけで。
それを侵略戦争に対抗する手段としてのそれを援用するのであれば、つまり身も蓋もなく「まず最初にロシア降伏せよ」という意味でもある。


まずは(おおよそ無傷で)ロシアによってウクライナを支配されてから、独裁者プーチンに対する非暴力抵抗運動をしよう、なんて。
……でもそれってまわりくどくない?
はじめからロシア国民がプーチンに非暴力抵抗運動をすればいいのに。
つまり、ここで非常に面白いパラドックスというかジレンマなのは、侵略者であるプーチンのお膝元であるロシア国民がそれをやって成功しているのであれば、そもそもこの戦争は起きなかったはずなんですよ。
ロシアで消える反戦の声、沈黙の陰で広がる恐怖心 - WSJ
ロシア街角にリボン出現...規制下の反戦デモ、創意で当局かわす|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
反戦派のロシア人、自宅に脅迫相次ぐ ウクライナ侵攻 - BBCニュース
そして、現状のロシア社会の「非暴力的な」「反戦運動」を見る限り、それがどれだけ成果を挙げているのかと言えば……。
逆説的に、そうした非暴力なデモやサボタージュといった手法が概ね通用すると言っていいのがアメリカやヨーロッパといった欧米諸国でもあるわけで。まぁ日本もそっちに入れていいんじゃないかな。
もし侵略者がアメリカやヨーロッパ諸国であれば、確かにそうすればそうすればいいんですよ。
でもプーチンのロシアは絶対にそれと同列にはできないでしょう。
もしくはロシア国民はプーチン独裁と侵略戦争に賛成しているので、そもそも抵抗していないのだというポジションなのかな?
まぁそれだったら賛成はしないけれども理解はできます。ロシア国民は邪悪であるという過激なネトウヨの主張みたいですけど。


こうしたロシアからのニュースを見ているのにも関わらず『国を挙げての組織的な非暴力抵抗』もう一度やれというのはちょっと残酷すぎるよね。
何より以前は同じソ連という共同体に属していたウクライナの彼ら彼女らが、その支配されることで変わるだろう政治社会という選択肢を選ばなかったというのは、まぁこれ以上ないほど示唆的であります
結局、今回の「ウクライナ危機」を前提とした非暴力平和論で一番致命的なのは、ジーン・シャープ先生の言うような『独裁者に抵抗する手段としての非暴力抵抗』を言うべきなのはまずロシアの方であって、それを先にウクライナに提案してしまってはそもそも主客転倒しているんですよ。
身も蓋もなく言えば、現状のウクライナ危機とは「既に(ここ重要)」ロシアの非暴力抵抗の民主化運動が失敗した帰結である。
一度既に失敗している戦略をもう一度やれというのは、当事者がその微かな希望に縋ってやるならともかく、某極東の島国に住んでいるような元府知事なんかのようにまったくの第三者がそれを主張するのはこれ以上ないほど残酷だよね。
偽善どころか露悪的ですらあります。



おそらく日本の平和論としても、我々が侵略される際も国内的な非暴力抵抗運動が失敗したどこかの国によって侵略されるんじゃないかな。
そして、おそらくそこでも今回のロシアの構図と同じように、非暴力は暴力によって弾圧されてしまうんじゃないかな。


ということでジーン・シャープ先生の主張はあくまで『国内的な民主化運動』として素晴らしいのであって、独裁国家による侵略戦争の抵抗手段として持ち出すのはあまり効果的ではないかと個人的には愚行致しますけども、
みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

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  • 黒人と白人の命、世界の扱い不平等 WHO事務局長 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News
    • 我々日本人からすると国際連盟の頃から「知ってた」案件なので、真正面から戦うか(失敗した)、徹底的にすり寄って生きるか(現在進行形でそこそこ成功中)の二択だよね。現代日本でも日米同盟を棄ててアジアで真の独立とか言っている真のナショナリストな人たちはいらっしゃいますけど。
    • ここで面白いのは、そうした日本の「非白人」ポジションが昨今のロシア制裁に加わった非欧米な国家=世界的な包囲網である大義名分として間接的に利用されている所だと思います。ロシアが日本を割と名指しで批判しているのもそういう点だし、それこそ米中対立も日本がアメリカに着くことでそうした構図が生まれているわけだしねえ。

 

 

 

 

 

 
 

日本の大学の中心でアンチリベラルな国際秩序を叫ぶけもの

「福はウチ、鬼もウチ」の帰結としてのロシア侵攻。


「『ロシア』という国を悪者にすることは簡単である」映画監督・河瀬直美さん 東大入学式で祝辞
令和4年度東京大学学部入学式 祝辞(映画作家 河瀨 直美 様) | 東京大学
はえ~~~、

 管長様にこの言葉の真意を問うた訳ではないので、これは私の感じ方に過ぎないと思って聞いてください。管長様の言わんとすることは、こういうことではないでしょうか?例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、私は安心していないだろうか?人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います。

令和4年度東京大学学部入学式 祝辞(映画作家 河瀨 直美 様) | 東京大学

すっごい。……何で今ロシアの話したの?


不勉強ながらこの監督の存在については某五輪騒動で初めて知ったので、これまでの素晴らしい作品あるいは政治的ポジションについての発言はよく解らないのでその文脈から何かを語ることはできないんですが、上記発言を見る限りでは現状のリベラルな国際秩序に不満な、ロシアや中国あるいは一部のネトウヨのような人たちが望むような19世紀型の国際秩序を良しとするアンチリベラルな世界を望む人なのだろうなあという推察はできます。
まぁそれ自体は悪くはないよね。
そもそも何故ここまで欧米が一致団結して「ロシアを悪者」にしているかと言えば、それは彼ら彼女ら自身が戦後築き上げてきたリベラルな国際秩序に真正面から挑戦されているからなわけでしょう。
それは領土変更という意味でもそうだし、あるいは普遍的人権の尊重という意味でも。
しかし、もちろんそれは「欧米の」「欧米による」「欧米のための」というエクスキューズが付くこともまったく否定できない一方的な価値観でもあります。

「採決の結果、欧米や日本など合わせて93か国が賛成し、ロシアのほか中国や北朝鮮など24か国が反対、インドやブラジル、メキシコなど58か国が棄権」

国連人権理事会 ロシアの理事国資格停止の決議を採択 | NHK | ウクライナ情勢

そうした欧米的価値観を基礎にしたリベラルな国際秩序に反発する国は、特に人権問題という点でまぁ世界で見れば控えめ言っても安定多数というにはほど遠い。
主権国家こそが国際関係における主要プレイヤーであり、実際に国連憲章第二条第七項で謳われているように「国の国内主権に属する国内問題」について介入することについて明文で禁止しているのだから。
国連改革は結局失敗したのだから。
ロシアや中国が言っているように、人権を基にしたリベラルな国際秩序は唯一絶対のモノではないのだから。
その意味で「一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?」と投げかけるのは、ロシアや中国といった側からのポジションが存在するということを示唆しているという意味で、やっぱり正しいんですよね。
悲しいかな歴史は終わらなかったのだし、今後はバランスオブパワーな時代が再びやってくる可能性だってそれなりにある。
――まぁその恩恵に与って平和主義を謳っている現代日本でそんなことを主張する人が居たら、アンチリベラルな国際秩序を望む人か、こじらせたネトウヨな人の一種か、あるいはただただ何も考えずにどっちもどっちだと言っているだけ、のどれかだと僕は思ってしまいますけど。
う~ん、東大入学式に呼ばれるだけの人が言っている可能性としてはやっぱり一番最初かなあ。それを日本の大学の最高峰で言うなんて、いやあ軍靴の足音が聞こえちゃうよね。




ともあれ、しかしアンチリベラルな国際秩序を望んでいるとしても、一方で現在のウクライナ・ロシア戦争については一周回ってかなり実態に近い認識はしているとは思うんですよね。

金峯山寺には役行者様が鬼を諭して弟子にし、その後も大峰の深い山を共に修行をして歩いた歴史が残っています。節分には「福はウチ、鬼もウチ」という掛け声で、鬼を外へ追いやらないのです。この考え方を千年以上続けている吉野の山深い里の人々の精神性に改めて敬意を抱いています。

令和4年度東京大学学部入学式 祝辞(映画作家 河瀨 直美 様) | 東京大学

「鬼を外へ追いやらないのです」
冷戦後のヨーロッパは、当地における永久的戦争回避という大目標に向けて、まさにそうやってロシアをヨーロッパ世界に内包させようとしていたわけでしょう。
素晴らしき「福はウチ、鬼もウチ」の精神であります。
ところがぎっちょん、内包させようとした結果がまさにロシアにヨーロッパからの東方拡大への拒否を事実上の大義名分として「一緒にするな」「我々に近づきすぎだ」という形で反発され、挙句には侵略戦争までも結果として引き起こしてしまった。
「福はウチ、鬼もウチ」という精神によってこそ、今回のウクライナとロシアの悲劇が起きてしまったことを考えるとものすごい皮肉だよね。
わざわざウクライナでは真逆の展開となっているのにも関わらずこのありがたいお話を持ち出したということは、30年程度じゃ全然足りないのであと970年はロシアに「福はウチ、鬼もウチ」と言い続けろというメッセージなんじゃないかな。
970年先をも見据えるなんてものすごい長期的展望であります。長期的には我々はみんな死んでそう。でも自分が死んだ後の事についても誠実に考えるのが責任ある大人の態度だもんね。やっぱ東大入学式はレベルが違うぜ。
あと970年東方拡大し続けろヨーロッパ。


現代世界における、欧米主導のリベラルな国際秩序に対する挑戦を「一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?」と評価することについて。
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通常日記

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レイプの効用

「占領軍に反対する」ことの帰結。


「もう生きていたくない」 ウクライナ女性、ロシア兵の性暴力語る 写真7枚 国際ニュース:AFPBB News
本邦でも某たわわの広告記事が炎上していたりしますけども、一方で海の向こうでは、という感じでこの世の地獄感あってすごい。
というか身も蓋もなく言えば隣の国――ウイグル等で『組織的に(ここ重要)』性的暴行を繰り返している中国や北朝鮮でも同様に――ではこうして戦場で強姦することがまかり通っていることを考えると、女性の権利を訴えてきたリベラルな私たちの努力も「いざ」となればまぁあっさりひっくり返されてしまうことがまた明らかに。いやぁ賽の河原の石でも積んでいるかのような気持ちにはなってしまいますよね。
にんげんってしんぽしないのね。
もちろんそれが無意味だとは絶対に言えないものの、しかしそれは限界状況ではあっさり覆されてしまう程度の意味しか無かった、なんて。
ここで問題を更にめんどくさくてしているのは、何もそれは個人の野蛮さというよりは、むしろ『戦争の武器』として効果的であるからでもあるわけで。

【4月8日 AFP】ウクライナ南部ヘルソン(Kherson)で暮らしていたエレーナさん(仮名)は、同市を制圧したロシア軍の兵士2人から受けた性的暴行について、時に感情を抑えられない様子を見せながらも、自身の身に起きたことを話したいと語った。

 エレーナさんは、他の住民から兵士の妻だと密告されたことで標的となった。同様の被害を訴える女性は他にもおり、ウクライナではレイプが「戦争の武器」として使われていると人権団体は指摘している。

「もう生きていたくない」 ウクライナ女性、ロシア兵の性暴力語る 写真7枚 国際ニュース:AFPBB News

小泉先生がブチャなどのロシア占領地における虐殺等について『統治の手法』と指摘していましたけども、つまるところレイプも同じことなんですよね。
拷問や強姦によって、自分たちを恐怖させ服従させることは占領し統治していくこと上での効果的手法である。
それこそ社会学者のルース・ザイフェルト先生なんかは、『War and Rape: A Preliminary Analysis』というそのまんまな論文の中で、強姦と文化破壊について次のように語っているわけですよ。

『汚い戦争』では外国の軍隊の制圧は必要ではなく、むしろ文化の破壊が重要となる。それが戦争行為の中心的な目的とみなされる。というのも、文化の破壊――これは人々を破壊することを意味する――によってのみ、決定を強制できるからである。

かくしてウクライナナチスであるとレッテルを貼ったプーチンは、そのウクライナに自らの決定を強制させるため、文化そのものを破壊することを目指すようになる。
それはつまるところ、人間の破壊である。
それこそ欧米から武器を大量に送られているウクライナ軍を撃破するよりも、こうやって占領した場所で虐殺や強姦をして人びとを服従させ、ロシアに従わせた方が簡単だし。
もちろんリベラルな私たちはそこで住民感情ガ~などと批判するものの、ロシアがそんなことを気にしていないのはチェチェンでもシリアでも明らかだったわけでしょう。少なくともその点で、しばしば同罪とされるアメリカとは一線を画しているわけで。



ここでひたすら悲劇的だなあと思うのは、こうした残虐な行為によって「ロシアに屈服させ決定を強制させる」という視点に立つと、むしろ私たちの良識の進歩がその威力を間接的に高めてしまっているという点でしょう。
これは今回のウクライナでも無関係ではない例えば『核兵器』のそれと同じ構図で、被爆国である私たちがその威力と残虐性を語れば語るほど、「いざ」という時に使われるだろう核兵器の抑止力(=ほとんどそのまま『核兵器の価値』である)を相対的に高めてしまっている。
かくして私たちが素朴な善性から女性を――だけでなくもちろん男性も――レイプする非人道性を訴えれば訴えるほど、その恐怖と衝撃の大きさは相手への服従をより促進することなり……。
ロシアの「戦争犯罪」で和平交渉困難に=ウクライナ大統領 | ロイター
そしてその理路は、既にゼレンスキー大統領が指摘しているようにほとんどそのまんま相対する側からの停戦交渉をするハードルが高まることでもある。


効果的だからと組織的虐殺やレイプを戦争の武器にする人たち。
悲しいかな、その「効果的」具合は、直接の当事者ではない本邦の一部の私たちすらも「だから降伏すべきだ」という声があることでその効用を証明してしまっている。


戦争におけるレイプの効用について。
――だから戦争には反対である、という単純な意見はもちろん絶対的に正しいんですよ。では、こうして虐殺やレイプを戦争の武器としている相手とも戦争しないことが正義なのか? と聞かれると話は死ぬほど複雑になっていくわけで。
占領された場所で、相手を服従させるためにその恐怖が効果的に用いられていることについて。


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「北海道の権利はロシアに」を笑う者は「北海道の権利はロシアに」に泣く

北海道がロシアのモノだという証拠を屏風だしてください。
――それは反対側からも「北海道が日本のモノだという証拠を屏風だしてください」と言われることでもあるんだよね。


「北海道の権利はロシアに」露議員、戦乱に乗じて主張 「暴論」の根拠は?: J-CAST ニュース
『諸国民の公正と信義』を確信していた人たちからすると暴論と言えば暴論なんですけども、でもロシアも中国も(人によってはアメリカやヨーロッパも)ずっとそんなもんだよね。

この記事では、日本による制裁や、北方領土に対する「不法占拠」表現の復活にも触れており、ミロノフ氏の発言は日本側の動きに反応して出たと受け止められているようだ。

ミロノフ氏が言う「一部の専門家」「多くの専門家」が、具体的に誰のことを指すのかは不明だ。ただ、「レグナム通信」では、政治学者のセルゲイ・チェルニャホフスキー氏が「東京(日本政府は)は、歴史的にロシア領であった北海道を不適切に保持している」と主張していることを紹介している。この主張によると、日本とロシアとの国境を択捉島と得撫島の間に引くことを決め、北海道が日本領だとされた1855年日露和親条約は「純粋な誤解」。北海道について次のような主張を展開していた。

「ロシア人開拓者が交易のために開発、植民地化を行い、利用していた。そこ(北海道)にはアイヌ民族が住んでいた。サハリンやウラジオストク近郊、カムチャッカの南部に住んでいるのと同じ民族で、ロシアの民族のひとつだ」

「北海道の権利はロシアに」露議員、戦乱に乗じて主張 「暴論」の根拠は?: J-CAST ニュース

ともあれ、しかし今回のこの北海道の権利発言を真面目に考えてみると、実は今回標的とされた私たち日本を含むリベラルな民主主義国家である欧米諸国にも実は共通している、尚も未解決の政治問題でもあるんですよね。
――つまり、実際にその画定されている(ことになっている)『領土』の正当性、保護すべき『自国民』の範囲、ひいては『国家』の範囲って本当に正しいの? という意味で。
相手に暴論に根拠があるんじゃなくて、そもそもこっちの正論の根拠の方が割と怪しいんですよ。



本邦でも上記アイヌと北海道の問題や、あるいは沖縄などの帰属問題が偶に議論になったりしますけども、確かにその固有の領土というのは突き詰めれば歴史上のある時点における「なんとなく日本である」という確信でしかないわけで。
しかしそれは絶対に日本に限った話ではなく、それは大多数の他の国々でも事情は同じであります。
そのほとんどが、実際のところ「民主化された時点での」国民と主権と領土がそのまま引き継がれているに過ぎない。

合衆国憲法アメリカ国民を定義できていないのは、すべての自由民主主義国家が抱えるさらに大きな問題の反映である。
フランスの政治思想家ピエール・マナンによると、ほとんどの民主主義国家は前からすでに存在した国の上に成立している。主権者が誰かを定義するナショナル・アイデンティの感覚がすでに発達した国の上に成り立っているわけだ。しかしこれらの国は、民主的につくられたわけではない。ドイツ、フランス、イギリス、オランダはみな、非民主的な体制のもと領土と文化をめぐって長期間、ときには暴力的に争った政治闘争の歴史的副産物だ。これらの国が民主化されたとき、その領土と住民がそのまま国民主権の基礎とみなされたのである。*1

かくして民主主義国家に生きる私たちでも実は明確な理論的解答がないまま、北海道は、沖縄は、クリミアは、アルザスは、ケベックは、カタルーニャは、我々の固有の領土であるという確信の下に生きている。
民主化時点でそうだったからといって、過去が違っていたように未来永劫そうだなんておかしくない?」
ぐう正論。
ということで中国やロシアのような領土的野心を見せる現状打破主義者たちの主張には、認めたくはないものの相対的に一理あるわけですよ。ついでに言うと、本邦の一部のネトウヨな人たちが言う「朝鮮や満州や台湾を取り戻せ」という主張にも。
それはなにも彼らの主張の正しさというよりは、私たちの側の理論武装の欠陥によってこそ。



ホッブズも、ロックも、ルソーも、カントも、『フェデラリスト』の執筆者も、ミルも、これまで歴史上の政治哲学の偉人の先生たちは我々が目指すべきリベラルな理性や社会については教えてくれたものの、誰も「歴史上どの時点での国家の範囲に正当性がある」なんて教えてくれなかった。
つまるところ国家とは誰かに想像された共同体でしかない。
っぱベネディクト・アンダーソン先生がナンバーワン!
――でも想像ということはつまり、ロシアにもロシアなりの、中国にも中国なりの想像があるということであり……。
その意味で、当日記でもよくネタとして揶揄する理想主義的な「ヨーロッパ市民」「世界市民!」「宇宙船地球号!」は、その一つの回答でもあります。どうせ万民が納得できるような基準を示せないのであれば、オルタナティブな解答に逃げる方がちょっとは誠実ではあるよね。
香港やシリアやそしてウクライナを見れば解るように、自国民を救ってくれるのは国を超えた市民の連帯()なんかではなく結局自国家でしかない、としか答えようがない現実世界でもあるんですけど。





かくして理性ある我々はその弥縫策として、大戦後の国際秩序として、多少の不満はあっても領土問題の現状を尊重しそれを打破することを禁忌としてきた。
だってその歴史的背景からの領土問題の正当性を持ち出したら収拾がつかないことを解っているから。
それを言い出したらマジでキリがないということを知っているから。
21世紀の今だからこそ領土問題が流行る理由 - maukitiの日記
国境線のレコンキスタ - maukitiの日記
しかし、九段線でも、あるいはクリミアでも、ナゴルノ・カラバフでも、戦後我々が禁忌としてきたその良識は悲しいかな効力を喪いつつある。
つまり万人がそれぞれに自由に考える、正しい自国民、正しい主権、正しい国境線の位置、をめぐる闘争の時代の始まりであります。
いやあネトウヨが微笑む時代だよねえ。
リベラルな価値観なんて今じゃ自国民も固有の国境線()も守ることもできやしねってのによぉ。
「ウクライナ勝てませんよ」「無駄死にしてほしくない」 テリー伊藤がウクライナ人に発言...口論に: J-CAST ニュース
こうした世界観からすれば本邦でも批判されていた「敵が来たら逃げればいい」というのにも一理あります。というか実は一周回ってそういう世界の論理そのものだよね。
正しい戦争をしているのだから、逃げない方が悪いのである。
今なら日本もワンチャン朝鮮や台湾や満州といった領土を取り返しても、妥協しなかった相手の方も悪い、どっちもどっちだ、と擁護してくれるかもしれない。


いよいよ領土紛争のパンドラの箱が開きつつある現代世界。
みなさんはいかがお考えでしょうか?
 

*1:フランシス・フクヤマ『IDENTITY』12章。

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  • 文化支える政治を/共産党後援会が全国交流会/田村副委員長講演
  • 「「武力には武力をとの論調は、際限のない軍拡と緊張を招く」と強調し、「憲法9条の精神に沿った市民社会の声こそがロシアを追いつめる力だ」と語りました。」
    • 概ね批判されていますけども割と正しいことを言っていると思うんですよね。つまるところ憲法9条というのは、諸国民の正義=集団安全保障論理に則って軽軍備ひいては軍隊を持たないことを目指すわけだし。つまりウクライナを国連が救済すれば解決だよね。ロシアにも手伝ってもらおう! あれ、でも今ウクライナに侵攻しているのって……。

 

 

  • 「女性には女性の、男性には男性のよさが」 NTT社長が入社式で:朝日新聞デジタル
    • う~ん、ザ・ポリコレなお話だよね。
    • 実際に無能と有能な社員がいるとして、だからといって公に「無能には無能の、有能には有能のよさが」というのが不適切であるように、男女も言うべきではないというのが結論だよねえ。目指すべき良識としては僕も概ねその通りだと思うよ。それが欧米だけでなく全世界共通の良識になるかというと話は別だとは思いますけど。