通常日記

手抜き日記。

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

『ファイアーエムブレム 風花雪月』金鹿の学級編 攻略日記その一(第一部までの各キャラ評)

ということで今期のFF14零式も無事クリアしたのでぼちぼち再開してます。
二週目は黄色学級。


前回まではこちら。
『ファイアーエムブレム 風花雪月』攻略日記・序 - maukitiの日記
『ファイアーエムブレム 風花雪月』黒鷲の学級編 攻略日記その一(4月~10月) - maukitiの日記
『ファイアーエムブレム 風花雪月』黒鷲の学級編 攻略日記その二(11月~3月) - maukitiの日記
『ファイアーエムブレム 風花雪月』黒鷲の学級編 攻略日記その三 各キャラ評(第一部終了時点) - maukitiの日記
『ファイアーエムブレム 風花雪月』黒鷲の学級編 攻略日記その四(帝国ルートEP13~16) - maukitiの日記
『ファイアーエムブレム 風花雪月』黒鷲の学級編 攻略日記その五(帝国ルートEP17~18) - maukitiの日記

ハード・クラシックモード
全員生存
成長吟味なし(あるか不明)
スカウトなし
フリーマップの稼ぎなし
ターン浪費によるボスチク等の稼ぎなし
他プレイヤーからのレンタルキャラなし

 





第一部攻略はまぁ一週目でもやったしスルーでいいかな。育成方針だけ適当に。
前週プレイの結果から全員を横並びでも十分クリアできるので今回はそのように育ててます。カスパル君は犠牲になったのだ。
以下画像が多めな手抜きのでご注意。

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よくできたスローガンこそ人を動かす

人をいっぱい殺す、でも可。



うーん、この人も前回日記の丸山さん同様すっかり、炎上ツイ芸人になっちゃった感あるよねえ。さすがにその頂点たる鳩山さんには負けてますけども。
しかしこの人がそれ以上に現実に影響力を持っているのは、(おそらく立憲民主党自身にとっても)かなりの面で不幸を生み出しているよね。僕も、この人が推したであろうおしどりさん擁立が止められないことで完全に見限ったクチではあるし。
それこそ前者二人はまだ――一方は首相経験者とはいえ――とりあえずは現状形而下な実害としてはほとんどないわけだし。わりと小泉さんも同じクチだけれども、あちらは概ね実際の政治力というか神通力は消えているようだし。自民党でいうと森さんポジションに近いか。
菅直人元首相が失言『私の若い時代には「造反有理」という言葉がはやって…』 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
そいや民主党政権時代には文化大革命ネタもありましたね。

 仙谷由人行政刷新担当相は、来年度予算の圧縮を目指す「事業仕分け」について 「これまで一切見えなかった予算編成プロセスのかなりの部分が見えることで、政治の文化大革命が始まった」と意義を強調。

菅直人元首相が失言『私の若い時代には「造反有理」という言葉がはやって…』 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

良くも悪くも、あの時代に青春時代を生き彼らのその後一生続く世界観を決定づけたタイミングである故に、という擁護はできなくはないかなあ。しかたないよね。いつの時代もおじいちゃんおばあちゃんたちは、自分が若い頃に生きていたその時代性が未だに継続し続けていると、無邪気に、素朴に、確信している。
ほとんど私たちは、その世界観が固定化した時代の文脈にいつまでも縛られて生きていく。しかたないよね。だってそれがスタート地点に、基準点に、つまり世界の常態であると錯覚してしまうんだから。
きっと私たちも、自分が若いころに生きていた時代性をいつまでも引きずってるおじいちゃんになっていくんだろうねえ。
だからそれを笑うのもちょっとどうかと思います。少なくとも私たちの大多数が、いつか行く道、なのだから。






ともあれ本題。「造反有理」というスローガンが意味するモノについて。
その言葉がもたらした歴史的結末の是非はさて置くとして、しかしあの言葉は確かにスローガンが政治・世界を動かした事例の「極北」の一つではあるんですよね。今でも多くの人に記憶に残っているだろう最近の事例だとオバマ大統領の「Yes we can!」とか、フランスのテロ反対に際しての「私はシャルリー」とか。
実際の中身や意味するところはともかくとして、しかしそのキャッチーさによって圧倒的に多くの人々の心に入り込むもの。


よくできたスローガンこそが、人を動かす。
――故に銃や大量破壊兵器などではなく、むしろ『言葉』こそが最も多くの人間を殺してきた、という主張には一理あるのです。


今回の菅さんの妄言失言を擁護するのであれば、再び「イマコソセイケンコウタイ!」というキャッチーなスローガンで一点突破出来るような過去の成功戦略、反自民党ブームよもう一度、ということを素朴に願っているだけなのではないかと思います。
そうした他力本願な思いが、上記で書いたように彼らの世界観を決定づけた時代にあった『造反有理』あるいは『文化大革命』という言葉として現れただけ。


そこで、現代的基準では大分アウトな事例がうっかり出ちゃうのは、イデオロギーの問題ですらなく、やっぱり彼らのおじいちゃんな時代背景と世界観が図らずしもうっかり漏れ出ちゃった、と愉快なお話ではあります。
まぁぶっちゃけ他力本願過ぎるよね。政治家なんだから自分でそのトレンドを生み出せばいいのに。いやまぁ安易にそう思ってしまうこと自体は否定できない。低きに流れる私たち。にんげんだもの
それを政治家がそのまま口に出すなんてどうかと思いますけども。


ということで、もし僕が彼のライターだったら、「いやそこは『Je suis Charlie』辺りにしときましょう……」って助言するかな。これなら反対するワカモノ論という他力本願っぽさもカバーできるし。
逆説的にそこでそんな「造反有理」という迂闊な事例を出しちゃう辺り、菅さん本人がコレを書いているという誠実さの表れと見ることもできるかもしれない。やっぱりライターに任せた方がいいんじゃないかな。


よくできたスローガンが、しばしば、社会を大きく動かしてきた人類社会の政治史について。
成功したスローガンの歴史というのは、それは良かった結末だけでなく、不幸な出来事としか言いようのない結末もいっぱいあったりするんですけど。
――よりによってその失敗例の極北を出しちゃうのはやっぱりセンスないよねえ。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

私たち日本国民が考える「領土を戦争で取りもどす!」の不正義さって一体どれくらい?

そしてその射程は?




丸山穂高議員「竹島も戦争で取り返すしか…」SNS投稿:朝日新聞デジタル
ということでもうすっかり炎上芸人として定着した丸山さんのオモシロ発言があったそうで。
炎上させ続けないと自分の存在価値化がなくなっちゃうもんね。しかたないよね。まぁこうした地道な炎上努力もむなしくおそらく消えていくだろうというのが大方の見方は間違いないんでしょうけど。N国が大きくなればワンチャンあるかもね。つまり彼の今後の運命は私たちのNHK嫌いの度合いが決める。バタフライエフェクトっぽい。

山氏は5月、北方領土返還の手段に関連して「戦争」に言及。日本維新の会は丸山氏を除名し、衆院は実質的に議員辞職を促す「糾弾決議」を全会一致で可決したが、丸山氏は議員辞職を拒否。NHKから国民を守る党に入党した。

 丸山氏は同日、竹島について投稿を重ね、「竹島が不法占拠者らに占拠されており、尚且(なおか)つ相手側があんな状況と。各種有事での自衛隊派遣で不法占拠者を排除する以外の方法でどうやって取り戻すんですかね?」などと主張した。

丸山穂高議員「竹島も戦争で取り返すしか…」SNS投稿:朝日新聞デジタル

うーん、オメガバカ。おわり。
――でもそれだけじゃ寂しいし、何か適当なことを書いておけばこの日記を読みに来た奇特な誰かがさんかく位はくれるかもしれない。
以下、彼のバカな発言が意味するところ、そして私たちはその「バカさ加減」をどれ位の強度で批判すればいいのか? という枝葉末節なお話。



おそらく武力行使=戦争以外に「短期的に」竹島を取り戻す方法は存在しないという点で、彼の言っていることは概ね正しいと思います。
でもそんなこと(それこそ少なくとも竹島問題についてテレビニュース程度の知識さえ持っていれば)一部の人たちを除けばみんな解っているんですよ。だってまさにこれまでの歴史がそうであったことを証明しているんだから。
韓国の国会議員6人竹島上陸 政府「極めて遺憾」と抗議:朝日新聞デジタル
現在の状況がまさに「こういう形で」固定化されているんだから。もしそれ以外に方法があったのならとっくに解決しているはずでしょう。しかし今はそうなっていない。だからこうなっている。
つまりこの状況を日本の歴代政権は、それを選んだ私たち自身も、この(政治的正統性ではなく)状況を容認してきた。


ということでこの人って、しばしば指摘されるように、ポピュリストとしては致命的な欠陥を抱えていると思うんですよね。
そんなこと皆知ってるんですよ。そしてその上でそうした手段を拒否している。だってあの島にはそれだけの価値がないと思っているから。それこそ韓国側がああして無意味にドヤってこなければ、日本では特別な日を除いてはニュースにもならないまま放置されているような問題でしょう。
もちろん過激なネトウヨな人たちは賛成するかもしれませんけど、それだって絶対に国民世論の多数派にはならないと自信を持って言えます。
いや、今後も韓国が反日政策がエスカレートしていくと「絶対」とは言えなくなるかもしれませんけど。


ポピュリストは大衆に迎合してナンボのはずなのに、そもそも彼はその大衆の内心を正しく理解さえしていない。
ただただ過激で目立ちそうなことをやって、炎上しているだけ。
アルバイト先で、アイスケースに入ったり調理中の食材でふざけて遊んでいる様子を迂闊にもSNS投稿して炎上しているバカな子たちとまるで変わらない。






そうした世界を読み切れない彼は、ヒトラーの尻尾にもなれないポピュリストとしての致命的な資質の無さっぷりを晒している。
しかしまぁ良かった探しをするならば、彼の発言自体は憲法9条を掲げ『平和国家』と自称する日本国民に重要な問題を突き付けているとも思うんですよね。

 今回の投稿は、北方領土と同様、竹島も「戦争」を解決の手段とするような主張とも受け止められるもので、今後波紋を呼びそうだ。

丸山穂高議員「竹島も戦争で取り返すしか…」SNS投稿:朝日新聞デジタル

確かにそのように受け止められる主張という朝日新聞の記事は正しい。それを否定する、という意味で僕も同意します。
では、私たちは、その不正義である「戦争を解決手段とする領土問題の解決」を言った彼の罪の重さは一体どれくらいだと考えているのか?



それを実際にやってみせた(相手側から見て正しく領土を奪還した)韓国に対してどのような態度を採ればいいの? 
そしてその上で政治的正統性を尚も主張している韓国という国家を丸山議員を非難するように扱えばいいの?

【北京=西見由章】中国政府は24日、「新時代の中国国防」と題した国防白書を発表した。台湾の与党、民主進歩党が「漸進的な台湾独立」を進めていると非難した上で「台湾を中国から分裂させる者がいれば、中国の軍隊は一切の代価を惜しまずに打ち砕き、国家の統一を守る」と威嚇し、台湾独立の動きに対して武力行使を辞さない姿勢を改めて表明した。

台湾独立なら武力行使も辞さず 中国、国防白書で威嚇(1/2ページ) - 産経ニュース

あるいは、韓国や中国という国家は、丸山議員と同レベルの、まったく度し難い・議員辞職勧告に値するような発言を政府自身がしているという風に見ていいの?
ロシアがクリミアでやったことは?
(普遍的人権という)歴史は終わっているか? 中 - maukitiの日記
その意味では、この議論って前回書いたの『普遍的人権』というお話と近い構図にあると思うんですよね。


私たちが丸山議員の発言の不正義さを非難すればするほど、同時にそれは現在進行形で同じことをしている・同じことを堂々と掲げている他国の同じ行為について、向き合わざるを得なくなる。でなければ、最悪ダブルスタンダードだと言われても仕方ないでしょう。
もしそうした要素を考慮しない場合、「海外=周辺国ではみんなそうやってる!」とあるあるな言説を彼が持ち出した場合、一体どのように反論すればいいだろうか?


もちろんあくまで日本国内でのローカルな正しさのみを追求しているとエクスキューズすることもできます。
「領土問題を武力行使で解決しようとすることを容認しない」という論理には日本国内までの射程しかなく、それは世界に向けた普遍性がないと考えているのであれば。
まぁそれってつまり一国平和主義そのものでもあるんですけど。
そうだよね、周辺国がどれだけ領土をめぐって戦争したって関係ない、自分たちさえ平和であればいいんだもんね。
これからはジャパンファーストや!


丸山議員の「竹島も戦争で取り返すしか…」という発言について、リベラルな私たちがその発言の愚かさを非難するとき、

  • 韓国が過去に竹島でしたこと、
  • そして中国が現在も台湾問題で掲げ続けていること、

という領土問題において『正しい戦争・武力行使だからセーフ』と考えている近隣諸国を考慮に入れた場合、その不正義を非難する言葉の強さはどれくらいにすればいいのだろうか?



もちろん私も彼の発言には反対します。しかし、その上で、こうした点から反論された場合の理論武装もしておくべきじゃないかとも少し思ったりします。いざという時に困らないために。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

通常日記

手抜き日記。

 

 

 

  • 日本で「搾取」される移民労働者たち - BBCニュース
    • 別にこうした日本社会を擁護するつもりは一切ありませんが、まぁ世界中のどこでも同じ構図ではあるよね。例えこうした境遇があると薄々わかっていても彼ら彼女らは海を越えてやってくる、欧米を中心に世界中で起きている移民問題の根幹でもある。

 

 

 

  • 河野太郎氏の辞任要求発言を釈明 枝野幸男氏 - 産経ニュース
    • ご飯論法っぽい。でもまぁ個人的にはそうした詭弁ネタ大好きではあります。
    • ともあれ、まぁこのニュースをダシに政情ネタをすると、コアな支持者が「れいわ」に流れて立憲は大変な時期だからこんなこと言ってしまったのかなあと党内事情的に同情するところではあります。このまま社会党化していってしまうのか。

 

 

 

 

 

 

(普遍的人権という)歴史は終わっているか? 後半

ということで承前。
(普遍的人権という)歴史は終わっているか? 前半 - maukitiの日記
(普遍的人権という)歴史は終わっているか? 中 - maukitiの日記

現代世界において、人権という概念は国家の利害や個人の感情よりも尊重される普遍的な存在である。どういった理由があれ、そうした価値に挑戦すると見なされる言動は非難を浴びることになり、不正義であるという誹りを免れない。平和の少女像によって日本人が傷ついたと考える人びとは、その理解が決定的に欠けている。

なぜ平和の少女像を「日本国民の心を踏みにじる行為」と感じる人びとがいるのか? | The HEADLINE

人権という概念は、「国家の利害」や「個人の感情」よりも尊重される存在である、という点には異論はない。
ここで重要なのは、現状を見る限り必ずしもそれが最上位というわけでもない、という点なんですよね。


(自分たちがこれまで努力して進めてきた)人権という概念よりも重要なモノがある、とまるで国家主義ネトウヨのようなことを言っている――というよりは実際に行動で示唆しているのが、現代のヨーロッパ社会でもあるわけですよ。

問題の一つは、イスラム教が――オランダのキリスト教徒とは違って――教会と国家の分離を実現していないことだった。政教分離はオランダ人に言論の自由報道の自由などの様々な人権を与えているばかりではなかった。それなくしては聖職者が聖典を根拠に公共の場に侵入してくるのを防ぎようがなくなるのだった。
フォルトゥインがイスラム教に異を唱えたもう一つのポイントは、性差に対する姿勢の違いだった。彼はイスラム教徒の女性も他のすべてのオランダ女性と同様に解放されるべきだと主張した。さらにフォルトゥインは性的少数派に対するイスラム教の姿勢も厳しく批判した。オランダ社会は世界に先駆けて男女の平等や、異性愛者と同性愛者の平等を規範化するための法律を作ったり、文化を醸成したりしてきていた。イスラム教国の実情(厳格さは国ごとに違ったが)が示すとおり、これらの原則はイスラム教とは 相容れなかった。
しかしこうした相違が明白であるにもかかわらず、オランダ社会は自らの寛容ぶりが、最も急速に拡大するコミュニティの不寛容ぶりと共存できるという振りをしようとしていた。フォルトゥインは、それは不可能だと感じていた。*1

移民難民と共に欧州社会に持ち込まれたイスラム教が(ヨーロッパ的な)『人権』とコンフリクトしたとき、一体彼ら彼女らはどのように振る舞ってきたのか?
――というと、まぁ多文化社会を尊重し人種差別を忌避する「善き」隣人であった故に、彼ら彼女らはそれを見ないフリをしてきたわけですよね。
それどころかその反論を人種差別的だと封殺してきたのが2000年代のヨーロッパ社会である、とマレーは上記著書の中で批判している。
言論表現の自由や女性の権利を用いてのイスラム教への批判は、きれいなヘイトである、なんて。


その結果として彼ら自身のそれまであった自由や平等や人権といった意識が後退することになったわけですけど。
つまり、欧米社会におけるリベラルさの大前提であった『人権』という概念は、人種差別反対や多文化社会賛美というコードに抵触する場合にはしばしばその存在を失ってきた。
結局人権とはあくまでそれよりも下位に位置するものでしかなかった。
普遍的な存在()
不正義であるという誹り()
理解が欠けている()


この辺はハンチントン先生が『分断されるアメリカ』の中で「多文化主義は本質的に欧州文明に敵対的であり、基本的に反西洋的なイデオロギーだ」と述べていた構図そのままではあるんですよね。
まさにそれは「普遍的」ではない「西洋的」人権意識であって、必ずしも全世界の人たちを射程に入るようなものではなかった、と。
やっぱりフクヤマの『歴史の終わり』より、ハンチントンの『文明の衝突』がナンバーワン!



イスラム教が「そうした価値に挑戦すると見なされる言動」をした際、本当に彼ら彼女らはそれを不正義であるという誹りすることができなかった。
彼ら彼女らは正しく沈黙した。

どういった理由があれ、そうした価値に挑戦すると見なされる言動は非難を浴びることになり、不正義であるという誹りを免れない。平和の少女像によって日本人が傷ついたと考える人びとは、その理解が決定的に欠けている。

なぜ平和の少女像を「日本国民の心を踏みにじる行為」と感じる人びとがいるのか? | The HEADLINE

「どういった理由があれ」というものには実は例外がいっぱいあった。でも仕方ないよね。だって例外だもん!



核廃絶の前には他者の人権などどうでもいいし、
戦争反対の為には他者の人権などどうでもいいし、
多文化社会を維持する為には自分たちの人権規範に固執していては不可能だし、
人種差別を避けるためには自分たちの人権意識などないことにした方がいいし、
――まぁ私たちには『人権』よりも重要で尊重すべき概念があるから仕方ないよね。


私たち日本人が中国や北朝鮮の政府による政治的弾圧に対する態度から見て、
ヨーロッパ社会が寛容から見せているイスラム教への態度から見て、
普遍的人権という歴史は終わらなかった。少なくとも現時点ではそのように見える。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:ダグラス・マレー『西洋の自死』第8章「警報を感じとっていた人々」

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