通常日記

手抜き日記。
 

 

 

 

 

 

  

  

 

 

 

  • なぜ人は「罪のない相手」を傷つけるのか? - GIGAZINE
    • 昔からの定番ネタではあるよね。共感が欠如したサイコパスと、虐殺相手の非人間化。この「〇〇を支持する奴は相手は同じ人間ではない」という理論は割と昨今の政治分断でもちらほら顔を見せるようになっていて、せかいがへいわであればいいな~とおもってます。

 

 

 

 

 

 

どちらも「宗教は特別である」と考える人たちの両極端な反応

そのどちらもが「宗教を特別扱い」している故に、自由を担保する意義について両者は真逆の解釈をすることになる。



「私たちは恐れていない」 教師殺害に仏各地でデモ 写真18枚 国際ニュース:AFPBB News
教師殺害で生徒4人拘束 容疑者に協力か フランス 写真7枚 国際ニュース:AFPBB News
フランス教師殺害に反発、国内各地で大規模集会 「私は教師」 - BBCニュース
容疑者は学校前で生徒たちに探している教師がどれか教えろと パリ近郊の教師殺害 - BBCニュース
ということで「私はシャルリー」ふたたび。
ここでよくある無責任な言説でもある「どっちもどっち」と言ってしまうと、いつものように思考停止か日和見冷笑主義なんて怒られてしまいそうですけども、でもこの構図でこそ「どっちもどっち」という言い方こそが適切だとは個人的に思っているんですよね。
「表現の自由」論争についての適当なお話 - maukitiの日記
レスプブリカ・クリスティアーナは衰退しました - maukitiの日記
宗教に対する「表現の自由」は今も尚『特殊』を守る武器か、それとも新たな『普遍』か? - maukitiの日記
まぁこの辺のお話について、前回のシャルリー騒動でも割といっぱい日記書いてきたので、お暇な方はそちらも承前として見ていただくとして。




ともあれ、今回の「教師殺害」で改めて浮き彫りになったフランスの政教分離についての適当なお話。

パリ中心部のレピュブリック広場(Place de la Republique)では、デモ参加者らが「思想の全体主義に反対」「私は教師」などと書かれたポスターを掲げた。同広場のデモに参加したジャン・カステックス(Jean Castex)首相はツイッターTwitter)に、「私たちを怖がらせることはない。私たちは恐れていない。私たちを分断させることはない。私たちがフランスだ!」と投稿した。カステックス氏とともに、ジャンミシェル・ブランケール(Jean-Michel Blanquer)国民教育相、アンヌ・イダルゴ(Anne Hidalgo)パリ市長、内務省のマルレーヌ・シアッパ(Marlene Schiappa)副大臣も同広場のデモに参加。シアッパ氏は「教師、教育宗教分離論、表現の自由を擁護する」ために参加したと語った。

 2015年にイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載し12人が殺害された仏風刺週刊紙シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)本社襲撃事件の際、世界中に広まった「私はシャルリー」に共鳴し、デモ参加者の中には「私はサミュエル」と繰り返し唱える人もいた。他にも、デモ参加者は大きな拍手喝采の合間に「表現の自由、教える自由」と声をそろえて訴えた。

「私たちは恐れていない」 教師殺害に仏各地でデモ 写真18枚 国際ニュース:AFPBB News

「私たちがフランスだ!」とものすごい主語をデカく仰ってますけども、でもそれって確かに一面の真理でもあるわけですよ。
なんとなく島国というだけで日本の一体性を確信している私たちとは違い、大陸国家であるフランスは当然その国境の向こうの他国とは違うアイデンティティでもある「フランスがフランスであるための最後の一線」があるわけでしょう。
その価値観を以てして、フランスはフランスたりうる。


有名なフランス的な概念として「自由・平等・博愛」というものがありますけども、
まぁそれって要約すれば「王からも宗教からも自由であり、故に共和国において個人は等しく平等であり、つまりみな助け合う兄弟である」これこそフランスの根幹の価値観でもあるわけで。
その大前提がある国家で、「宗教に対する自由」を生徒に教えようとした人が殺されてしまっては、今回の件とモロにコンフリクトしてしまう。
フランスそのもの、国是への挑戦に等しくなってしまう。
そりゃ反発されないわけないよね。
「私たちもフランスである!」







ここで皮肉で面白いと思うのは、風刺に反発しテロをする犯人たちも、ここでデモをするフランス人たちも、そのどちらもが『宗教』というモノに対して特別扱いをすることが大正義だと確信している点だと思うんですよね。*1


教師の首を切るに至った前者は、まさに特別扱いされるべき信仰だからこそ風刺する自由など絶対にないと確信しているし、
ところが一方でこうしてデモをする後者たちは、まさに宗教は特別な存在だったからこそ絶対に風刺する自由を後退させてはならないと確信している。
何も宗教=イスラムを劣った存在としているから風刺しているのではなくて、むしろ逆なんですよ。
宗教による教権を正しく懸念し、備えているからこそ。


かくしてそのどちらもが「宗教を特別扱い」している故に、自由を担保する意義について真逆の解釈をすることになる。
結局、シャルリーから続くフランスの宗教風刺の問題ってここにいきつくわけでしょう。



いやあこんなの両立できるわけないよねえ。
どっちかが譲歩する以外にない。実際に、だからこそ共和国フランスはキリスト教権威に血と闘争を以て譲歩させたわけだし。
そうした視点からすると、まぁ郷にいては郷に従えという古典的文句に従うべきなんじゃないかとは僕は思いますけど。もしフランス人がイスラムが主流の国家で同じようなデモをしていたらこのフランス人頭おかしいんじゃないのって思いますし。
というか、そもそもだったら何で君たちの同じ国で一緒に暮らしているのよ??? と思わずマジレスが生まれてしまうよね。
…………それポリコレ違反かロジハラでは???



どちらもが「宗教を特別扱いする故に」絶対に相容れないだろうイスラムとフランスについて。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:この辺の感覚はクリスマスからウェディングに仏葬なんて、『宗教』に対して良く言えば融通無碍で悪く言えば節操のない私たち日本人にはちょっと理解しがたい構図でしょう。故に今回の件でも我々は割と的外れなコメントをしてしまう。でもまぁ日本人の僕はそんな日本人の性質がすばらしいとおもうよ。

通常日記

手抜き日記。
 

  • 「無症状者にPCR検査しても感染は抑えられない」と尾身氏:日経ビジネス電子版
  • PCR検査に関して尾身氏が強調したのは、「PCR検査を増やした結果、感染を抑えられたという証拠がない」という点だ。」
    • ということで「日本の(相対的)成功」の立役者である尾身先生のありがたいお話であります。まぁ本邦でも、騒動当初は「PCR検査をしろ!」っていう自称識者たちがいっぱい居ましたよねえ。誰だって未知の領域だったのだし、個人的に別にだからどうというつもりはありませんけども、なんというか、Twitterのリスト化がいっぱい進んでよかったよね!
    • その意味でいうと、『3・11』の時と同様に、緊急事態において「信用してはいけない」人たちの識別が進んだことが本邦社会にとっての数少ない利点だったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 人権理に中国、ロシアとキューバ 国連総会が選出、批判も(共同通信) - Yahoo!ニュース
    • 昨今の情勢もあって少し盛り上がってましたけど、こんなの冷戦後の国連改革の機運が盛り上がった時代からずっと言われていたお話ですよね。当日記でも何度か書いてきましたけど、普遍的な存在を目指すのと公正さを担保するのは必然的にコンフリクトをせざるをえない、といういつもの国連的光景。こんなのミクロな我々の個人的生活でも直面する構図だよねえ。

 

 

 

 
 

  • セブン、“ハリボテ”卵サンドや“上げ底”弁当が物議…広報部に直接聞いてみた
  • 「セブン広報部 これがこの商品の企画であるとしか申し上げられません」
    • ハリボテを自白というか開き直っていてすごい。ぶっちゃけここまで言ってしまうくらいなら値上げか縮小宣言でもした方がいいのにとは外野から思ってしまいますけど。企画だと開き直るのがセーフで、正直に値上げするのがアウトっていう倫理観は興味深い。

任命拒否じゃダメなんでしょうか?

10年を経て帰ってきた「既得権益をぶっこわせ!」という我々庶民のそぼくなよくぼーにこたえるせいじかたち。





東浩紀「日本学術会議の任命拒否問題は菅政権のしたたかな戦略かもしれない」〈AERA〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース
菅首相が学術会議人事で大ナタをふるった本当の理由 (1/2)
東先生や御田寺圭さんの割と同意できるお話。

 拒否された候補はいずれも政権批判の過去があり、学問の自由の侵害との声が高まっている。政権は、任命権は首相にあると主張しているが、それが37年前の国会答弁と矛盾していること、また拒否理由を開示していないことも非難を強めている。有識者や各学会からも批判が相次いでいる。当然の反応だといえる。政府には丁寧な説明を求めたい。

 しかしその前提のうえで考えたいのは、なぜいま菅政権がこんな「暴挙」に乗り出したかということである。むろん言論統制の欲望は確かだ。任命拒否は明らかにイデオロギー的な理由で行われている。

 だがその欲望が高支持率を背景に暴走したと捉えるのはいささか素朴すぎる。政権は任命拒否が強い反発を呼ぶことはわかっていたはずだ。それでも「勝てる」という計算が働いたのではないか。

東浩紀「日本学術会議の任命拒否問題は菅政権のしたたかな戦略かもしれない」〈AERA〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース

一見バカな暴走をしているように見えて実は彼らは勝算があって――つまり我々国民も『日本学術会議叩き』に同調するだろう、と考えているのかもしれないと。
「学術会議は千人計画に協力」甘利氏修正 誤り指摘受け [日本学術会議]:朝日新聞デジタル
甘利さんが言っていたようなデマやフェイクニュースは論外だとしても、しかし実際に少なくない同じ学者という身内からもその制度や慣行に批判がされている構図があるのも間違いないわけで。

でもこれまで散々「民意を知らしめるのだ!」と煽られてきた民主主義を愛する私たちにそんな正論を今更言っても通じるかなあ~???
ぼくはむりだとおもうよ。
――皮肉にも左右から「もっと政治に目覚めよ!」と有権者たちを煽ってきた結果が、こうした『学問の自由』に介入することがポピュリズムな世論として正当化されかねない構図を生んだんじゃないかと。
任命拒否という横暴に抵抗しようとする人たちの思惑通りに菅政権の行為は「政治問題化」しつつあるものの、しかし、皮肉にも、まさにそれ故に、今回の件は世論として許容されつつある。
一部の冷静な弁護士さんたちが当初から言っていたように、粛々と法律問題にしておけばよかったのにね。

現代日本社会におけるマリーアントワネット的寓話 - maukitiの日記

先日の日記でも触れましたけど、これまで散々「民意を聞け!」と煽られてきた私たちは、一体今回の件でどのような判断を下すことにするのでしょうね。
その意味ではこの問題に反発する人たちは気勢を上げて熱心に与党批判に結びつけていますけども、それって結構危うい手法だとも思うわけで。政治問題化させるということは、つまるところ、国民世論がアウトだという空気になればもちろん菅総理の失点となるでしょうけど、もしセーフだという空気になれば以下略。
当事者である学者サマたちはともかく、はたして便乗して与党批判に結び付けようとする人たちはそこまで考えてるでしょうかね。
これまでの安倍政権時代を考えると……、うん、まぁ、そうねえ。





ともあれ本題。ただ、改めて考えてみると、今回の件っていつかの「事業仕分け」っぽいなぁとちょっと思う所ではあるんですよね。
政権誕生からいきなり突っ走ってしまう人たち。
あの時も「歳出削減を目指し、外部の視点を入れて国や自治体の事業を問い直す」なんて言っていたんですよね。

 菅義偉首相は16日で就任から1カ月を迎える。就任直後から、役所での押印廃止や携帯電話料金引き下げなどの検討加速を矢継ぎ早に指示。「スピード感」(首相)を持って成果を得ようと躍起だ。一方、就任2週間で日本学術会議が推薦した新会員候補6人を任命しなかった問題が発覚。政権は推薦された全員が任命されてきた前例を「打破すべき既得権」と位置づけて状況転換を図るが、説明不足は明らかだ。26日召集予定の臨時国会の紛糾は必至で、今後の政権運営を占う最初の関門となる。

学術会議「最初の大失敗」 “せっかち”菅政権1カ月 成果に躍起、怠る説明 - 毎日新聞

 2009(平成21)年の政権交代直後、民主党政権の施策で最も国民の注目を集めたのは「事業仕分け」だった。歳出削減を目指し、外部の視点を入れて国や自治体の事業を問い直す。国会議員やシンクタンクのスタッフらが公開の場で高級官僚を問い詰めるシーンがドラマのようでテレビ映えすることから、政権のイメージを代表するイベントに。

「2位じゃダメなんでしょうか?」はそこまで批判される発言だったのだろうか | 私が令和に語り継ぎたい「平成の名言」 | 文春オンライン

「外部の目を入れて」既得権益をぶっ壊そうとする人たち。
いやあかつての民主党らしくなってきましたよねえ。あの時の事業仕分けだって専門知識を持たない政治家たちによる『ショー』がそれなりにウケのは間違いなかったわけだし。今回もそうなるんじゃないかな。
民主党の成功体験に支配される自民党と維新の会 - maukitiの日記
正しく民主党政権の遺産を受け継ぐ自民党政権
人民の声を代弁していると叫ぶ政治家たちの、既得権益をぶっ壊すしぐさに熱狂する私たち。
うーん、ザ・ポピュリズム
良くも悪くも控え目だった安倍政権からこんなことになるなんて。
――いや、こうして原点回帰している現状を見てみると、安倍政権時代がむしろ異端だったのかもしれない。
ようやく、今更、ついに、あの歴史的な政権交代に成功した旧民主党政権以後の日本政治が始まるのかもしれない。




旧民主党自民党、どちらも科学技術研究に冷淡だという政治の一貫性は担保されていて、それはそれで日本政治の歪な一貫性であり誠実さなのかもしれないね。
政治なんて誰がやっても同じだという事を証明してしまっている。
日本学術会議「関係ない」ツイートが炎上の西田亮介氏 「今回のことで学問の自由が死ぬのであれば、我々はもう死んでいる」(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース
「もし今回のようなことで学問の自由が死ぬのであれば、“我々はもう死んでいる”と言わざるを得ない」なんて。
まぁしかたないよね。政治家はわれわれ国民の意見をきくべきなんだもん!



これからも学問の自由が尊重されていたらしい(要出典)、日本でありますように。
 

 

これはカスス・ベリですか?

Civilization6で歴史を学んだ我々にとっては当然『国土回復戦争』はセーフと答えるしかないよね。




ナゴルノ紛争 「宗教対立」とあおるな:東京新聞 TOKYO Web
僕の国語能力が足りないのか、ちょっと何を言っているのかわからない東京新聞さんのありがたい社説であります。

旧ソ連アゼルバイジャンアルメニアが再び戦火を交えた。合意した停戦は風前のともしびだ。欧米ではこの紛争を宗教的対立に単純化する傾向もあるが、一面的な見方は調停を妨げかねない。

ナゴルノ紛争 「宗教対立」とあおるな:東京新聞 TOKYO Web

うーん、「欧米では」と前置きしていますけども、一体どこのニュースでそんな報道がされているのかちょっと興味あります。
いやまぁもちろん日本語でもいっぱいある陰謀系ブログなんかを射程に入れれば当然ありそうですけど。わかるわかる~『9・11』からの両戦争はイルミナティの暗躍で宗教戦争なんだもんね!
でもまぁ「ちょっと何を言っているのかわからないです」とマジレスだけ書いても日記にはならないので、いつものようにここから発展させて適当な日記を書こうと思います。







こんなの多面的な情報分析もクソもなく、初めからどう見ても徹頭徹尾『国土回復戦争』でもあるわけでしょう。
だから東京新聞さんもその平和的解決させる為にこそ、宗教対立云々ではなく直接に領土問題の解答を示せばいいんですよ。
いやまぁ、そうした『領土奪還』という――本邦にとっても当然無関係ではない――論旨に触れたくないから、とても小賢しい責任回避術で実質的に何も言っていない虚無な社説に辿り着いているなら本末転倒だと評価するしかありませんけど。
本気で宗教対立があおられていると感じているならば、まぁそれはそれで一つの世界観ではあります。でもそれもイラクの開戦事由と同じくデマだとおもうよ。


ということで、ここで第三者である我々がかの地の紛争を見て問われているのは、国土回復の手段として戦争に訴えることが許されるだろうか? という点でもある。
領土奪還は現代におけるカスス・ベリ――合法的な開戦事由たりうるだろうか?
まぁcivilization6で歴史を学んだ我々にとっては当然『国土回復戦争』はセーフと答えるしかないよね。

国土回復戦争
社会制度「外交官」を研究すると、自分が築いた都市を占領している文明に対して宣言できます。国土回復戦争を宣言するには、まず相手に非難声明を出し、そこから5ターンが経過するのを待ちます。特筆すべきことに、この開戦事由では不平ペナルティが一切発生しません。奪回した都市を生かすも殺すも自由です。見るのも厭わしいというのであれば、容赦なく完全破壊してもかまいません。

ゲームシステム/ルール/外交 - Civilization6(Civ6 シヴィライゼーション6) 攻略Wiki

「国土回復戦争を宣言するには、まず相手に非難声明を出し、そこから5ターンが経過するのを待ちます。特筆すべきことに、この開戦事由では不平ペナルティが一切発生しません」
まんま今のアゼルバイジャンアルメニアの構図そのまんまでクッソ面白いよね。

ではトルコとアゼルバイジャンにとって「解決」は何を意味するのか。それは、アルメニアが30年近くにわたり安保理決議に違反し実効支配してきた国土の20%を、アゼルバイジャンに戻すことだ。

国連安保理は93年、4つの決議を採択し、アルメニアの占領地からの撤退を求めている。2008年の国連総会決議でもアルメニアに対し無条件の即時撤退が求められた。トルコとアゼルバイジャンは、「これだけの国連決議がありながら、仲介国はアルメニアに撤退圧力をかけてこなかった」と憤る。安保理決議は、早ければ数日で適用されるものもある。拘束力がある安保理決議が実行されないのは、「国際的な安全保障の観点から見れば重要性は低かったため」(軍事アナリスト)との指摘もある。

停戦合意でも戦闘続くナゴルノ・カラバフ なぜ「ロシアとトルコがカギ」か:朝日新聞GLOBE+

確かにアゼルバイジャンは概ね正当性のある非難声明をし、その上で5ターン経過するのを待ち、そして再び開戦した。


少なくとも『国連』においてもアルメニアの違法占領と見なされているかのナゴルノ・カラバフにおいて、へいわをあいする我々日本人を含む国際社会()はアゼルバイジャンの非難声明に対して何ら実効的な対応(救済策)を採らなかったのだから。
自分たちを国際社会の一員だと自称する私たちにも少なくともその無作為の責任の一端がある事は間違いない。
だから東京新聞のいう「宗教対立」なんて副次要因考える必要ないんですよ。その国連決議に従ってアルメニアを撤退させればいいだけ。
たとえばクリミアなんかでもそうすればいいだけ。
あるいは九段線でもそうすればいいだけ。




だれが?
どうやって?




いつまで経っても助けてくれない国連決議に見切りをつけて、自力救済を目指し先制攻撃で始まったアゼルバイジャンの国土回復戦争にカスス・ベリありという事はできるだろうか?
無抵抗主義者が戦争への道を舗装するとき - maukitiの日記
まぁ当日記でも何度か触れてきましたけど、それを安易に認めたら世界中で地獄の釜の蓋が開くことになりかねないわけですけど。
――かといって、いくら不当に奪われた国土だとしても、国連では国連安保理常任理事国の利害が絡むと機能不全を起こすことになる。
私たち日本国民が考える「領土を戦争で取りもどす!」の不正義さって一体どれくらい? - maukitiの日記
こちらも以前日記で書きましたけど、しばしば平和ボケと称される自称平和主義な我々日本国民だって、そんなこと薄々みんな解っているんですよね。
だって今目にしている現実として、いくら自分たちが不当だと考えていても、竹島北方領土が実際に帰ってくることはなかったのだから。
不幸中の幸いというべきか、それらの「旧」国土には大して価値が無いとみなすことができているからこそ、日本の私たちは理性的で平和主義なポジションを採ることができている。
……ではそれがもし「価値ある」国土だったら?




かくして最初の疑問であり、古臭い正戦論なテーマに我々は立ち戻ることになる。
「国土回復戦争はカスス・ベリだろうか?」なんて。
そして、大多数の誠実な私たちは、完全に否定することも、完全に肯定することもできず沈黙するか、今回の東京新聞のようにズレたことを言いながら言葉を濁すことになる。
まぁ誠実ではない人は不当な要求だろうが領土あげちゃえばいいとか、本来の持ち主に返せばいいとかその場その場で適当なことを言えばいいんじゃないかな。
自分さえ戦争被害にあわないなら、自分に不利益が無いのならば他の誰がどうなったって構わないものね。



みなさんはいかがお考えでしょうか?

 
 

通常日記

手抜き日記。

 

 

 

 

 

 

  • グレタさんがバイデン氏支持 米大統領選 (写真=ロイター) :日本経済新聞
    • 別に応援すること自体はいいと思うんですが(ウェストファリア以来の国際秩序である内政不干渉原則に挑戦するなんてとってもカオスな世界ですばらしいよね!)、そんな「例外」適用はトランプだけで済むのかなあと素朴に思う所ではあるんですよね。彼ほど明確に反対しないにしても、「国民の為に」と言いながら自分たちの義務を回避しようとする政治家はいっぱい出てきそう。

 

 

 

 

  • 国連食糧計画にノーベル平和賞 飢餓との闘いを評価 - BBCニュース
    • グレタさんでも香港デモない辺りひよった感は否めないよね。もちろん国連組織の中でも仕事をしていると評判の高い(でも地味な)国連食糧計画が悪いというわけではありませんけど。前回前々回のような個人ですらないのはやっぱりちょっと肩透かし感あります。

 

 

 

 
 

現代日本社会におけるマリーアントワネット的寓話

彼女のように敵対陣営から歴史的発言を捏造されるするまでもないとかすごい。




ということで、個人的にも菅さん早速コレはやっちゃいましたなあと思っていたんですが、安倍政権時代から繰り返されてきた「いつもの面子によるいつもの劇場」化してしまったことで、これまでの諸問題と同様に徐々に日常風景として溶け込んでいきそうだなあと生暖かく見守るつもりではありました。
「総理は多様性を認め、政策に生かして」 日本学術会議・大西隆元会長が本紙に寄稿:東京新聞 TOKYO Web
学者の静岡県知事、菅総理を痛烈に批判「教養レベルが露見した」 日本学術会議問題で(静岡朝日テレビ) - Yahoo!ニュース
ところが色々と面白いお話が出てきているそうで。
いやあミクロな個人間で起きる他人のケンカにはあまり興味はわきませんけども、こうして一見マトモなマクロの組織間として起きる「争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない!!」的愉快なイベントが発生すると、個人的にはいいぞもっとやれとかなりwktkしてきてしまいます。

 微細なプラスチック片が分解されずに海に滞留し、摂取した魚、さらに人に害を及ぼすから、プラスチックの利用を大幅に削減しようというキャンペーンが、レジバッグ有料化やマイバッグ携帯につながった。このきっかけの1つは学術会議が海外の学術会議と手を携えて行った提唱であった。

「総理は多様性を認め、政策に生かして」 日本学術会議・大西隆元会長が本紙に寄稿:東京新聞 TOKYO Web

 日本学術会議が推薦した会員候補の任命を菅総理が拒否した問題で、静岡県川勝平太知事が菅総理を厳しく批判しました。川勝知事は「菅義偉という人物の教養のレベルが図らずも露見した」指摘しています。

学者の静岡県知事、菅総理を痛烈に批判「教養レベルが露見した」 日本学術会議問題で(静岡朝日テレビ) - Yahoo!ニュース

反対派としては「学問の自由を守れ!」という正論で現状を一点突破するはずが、これまで人目に触れられることの少なかった日本学術会議――にとどまらず学会や大学人たちの諸問題が表出する(させられる)ことによって、われわれ『民意』の出る幕となってしまいその介入の不当さが有耶無耶にされつつあると。
風が吹く - maukitiの日記
安倍政権退陣の日記や、afurikamaimaiさんとのやり取りで安倍政権後にはポピュリズムがやってくるだろうと書きましたけども、いきなりこんな面白いことになるとは予想外でした。展開早いな。

学術会議問題:迷惑な学者の「正義」の押し売り ? 衛藤 幹子 アゴラ
何が「正しく」「知性があり」「教養ある」のかは、我々が決める、なんて。身内間でそうした(まさに同じレベルで)内輪争いをしているならともかく、それが一般社会にまで出てきてしまったら……。
それを学者サマではないひとびとたちが聞いたら一体どうおもうんでしょうねえ。
もちろん『空気を読まずに』正しいことを言うのが、そもそも学者の仕事だと擁護することもできるでしょう。
大切なのは多数意見ではなく、科学的知見や過去の研究の積み重ねでもあるのだから。


でもこれまで散々「民意を知らしめるのだ!」と煽られてきた民主主義を愛する私たちにそんな正論を今更言っても通じるかなあ~???
ぼくはむりだとおもうよ。
――皮肉にも左右から「もっと政治に目覚めよ!」と有権者たちを煽ってきた結果が、こうした『学問の自由』に介入することがポピュリズムな世論として正当化されかねない構図を生んだんじゃないかと。
任命拒否という横暴に抵抗しようとする人たちの思惑通りに菅政権の行為は「政治問題化」しつつあるものの、しかし、皮肉にも、まさにそれ故に、今回の件は世論として許容されつつある。
一部の冷静な弁護士さんたちが当初から言っていたように、粛々と法律問題にしておけばよかったのにね。



より一層炎上させようと政治ニュースにしようとした結果として、意図せぬ形で「世間から乖離したマリーアントワネットな発言に噴き上がる庶民たち」な構図が生まれつつあるのはホント面白いお話だと思います。
いや、まったく笑えないというとまぁその通りなんですけど。
何もかも貧乏がわるいんや。


私たちは、そんな愚かだという理由だけでこれまで崇め奉ってきた『世論』を無視することができるだろうか? 
これまで散々『民意』という万能の棍棒を振りかざせと煽ってきたのに?


がんばれ日本社会。